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日本の教育制度

戦後日本の教育制度の問題点について様々な所で指摘されていますが、この制度の結果として私達の社会に影響を与えている代表的なものを二つ取り上げてみます。

グライダー人間

学校はグライダー人間の訓練所です。飛行機人間を作ろうとはしません。グライダーの練習にエンジンのついた飛行機が混じっていると迷惑で危険です。学校では引っ張られるままにどこにでもついてゆく従順さが尊重されます。勝手に飛び上がったりするのは規則違反です。たちまちチェックされます。やがてそれぞれグライダーらしくなって卒業します。

優等生はグライダーとして優秀なのです。『飛べそうやないか。ひとつ飛んでみろ』などと言われても困ります。指導するものがあってのグライダーなのです。例外はありますが、一般的に学校教育を受けた期間が長ければ長いほど自力飛行能力は低下するみたいです。グライダーでうまく飛べるのに危ない飛行機になりたくないのは当前でしょう。

人間には飛行機能力とグライダー能力があります。自分で物事を発明したり発見するのが飛行機能力。受動的に知識を得るのが、グライダー能力です。両者は一人の人間に同居しています。グライダー能力なしには飛行の基本的知識は習得できません。何も知らないで独力で飛ぼうとすればどんな事故を起こすかわからりません。しかし、現実にはグライダー能力が圧倒的で飛行機能力はまるでなしという優秀な人間がたくさんいる事も確かで、そういう人間も翔べるという評価を受けています。

学校はグライダー人間をつくるには適していますが、飛行機人間を育てる努力はほんの少ししかできていません。学校教育が整備されてきたということはグライダー人間をますます増やす結果になりました。お互いに似たようなグライダー人間になってしまうとグライダーの欠陥を忘れてしまいます。知的・知的と言っていれば翔んでいるように錯覚します。

指導者がいて目標が明確なところではグライダー能力が高く評価されますが、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠です。それを学校教育はむしろ抑圧してきました。急にそれを伸ばそうとすれば様々な困難がともないます。今は情報の時代です。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにもいきません。

それならグライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいか。学校教育もそれを考える必要があります。コンピュータという、とび抜けて優秀なグライダー能力の持ち主が現れた為、自分で飛べない人間はいつかコンピュータに仕事を奪われる事になるでしょう。

ブロイラー人間

小さい時からエリートを目指してただガムシャラに学問や知識を頭の中に詰め込んできた人はブロイラー人間と呼ばれます。窮屈なトリ小屋に閉じ込められ、運動もさせられずにただ栄養だけを詰め込まれるブロイラーは食べてみると肉は柔らかいし、歯ごたえもいいのですが、昔食べた自然飼育の鶏肉と比べると一味もふた味も足りません。

同じように四六時中、学校の教室や塾・予備校、それに自宅の勉強部屋に閉じ込められて、ただ暗記だけをしてきた受験エリートは実社会に出ると一味もふた味も足りない様なビジネスマンになってしまいます。実社会で求められるのは創造力や企画力です。学問上の知識だけでなく、それを現実に活かす智慧なのです。

戦前からの基幹産業であった造船とか繊維・石炭産業は軒並み斜陽になりました。今や電機業界とて似たようなものです。次は自動車も危ないらしい。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、それにうまくついて行けなかったのが最大の要因です。

こういう企業のトップの学歴を見ると名門大学出が多い。マニュアル通りの模範解答だけを求め、独創的な手を打ち出せないエリート特有の経営感覚が長い間、日本を支えてきた大企業をダメにしました。

コロナ禍が蔓延する今になって大企業でもこれではいけないと気づき始め、社内改革が実行されようとしています。それにはまず採用基準や昇格基準、社内組織の構築にまで手を付けなければなりません。誰にとっても自己否定は難しいもので、すでに上役になっている人にこれを求めるのはかなり無理があると思われます。

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