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フィリピンの国営放送局から中継車2台とスタジオ2式をほぼ同時に受注した

フィリピンの国営放送局PTNIからDSNG(衛星放送TV中継車)2台とTVスタジオ2式を2016年の初めにほぼ同時に受注した。中継車は自動車の車体からTVカメラなどの高額部品を買い集めて組み立てねばならず飛行機で運ぶには大きすぎるので、予算の事もあり船による運搬をしなければならない。

今回のDSNGの受注は見積もり時からトルコの車体改装会社の協力により成約したものだ。自動車はドイツ製の4WDスプリンターという車種でメルセデスベンツ製5tのバンであった。トルコの車体制作会社がよく購入しているというハノーバー市の西約40Kmシュタットハーゲン市のディーラーから購入予定という事で、注文が確定して納期を確認したが4WDは受注生産につき出荷までに4か月はかかるとのこと。

PTNIではできれば半年後にせまった大統領選挙に間に合わせたいとの事で、これでは全く間に合わない。日本人とフィリピン人各3名で工場見学と納期短縮の要請に私もトルコとドイツに出張した。その甲斐あってか車体の納期については2か月に短縮できた。またトルコとドイツは陸続きのため高速道路を走ってもらう事にして輸送期間は1週間に短縮できた。イスタンブールからマニラまで完成車を船で運ぶにはシンガポール経由で1月半かかる。これではマニラ到着は秋になってしまう。どちらにしても選挙には間に合わない。

車体を発注する段になって車種選びにも躊躇した。使用するディーゼルエンジン用軽油の規格だ。ヨーロッパの国々ではユーロ5という油種用の自動車しか生産されていないが、フィリピンでは旧式のユーロ3という油種しか販売されていない。これでは下手をすると、フィリピンで走れないかもしれないと思った。

大阪で様々な人に聞いたが誰も知らない。意外にも残業食時の雑談中にビデオ編集専門家の松尾さんが知っていることが分かった。なんとユーロ3軽油に市販の添加物を混ぜる事によりユーロ5になるとの事。また添加物が入っていなくても排気ガスに少し色が付く程度と知った。これは後で分かったことだが、フィリピンのジェイソン技師も知っていた。

工業製品には様々な規格がある。TVの放送方式にも走査線数や記録枚数がヨーロッパ中心で採用されているPAL方式と米国中心で採用されているNTSC方式があり、互換性がない。私がこれらの商品の担当を始めた頃、これの変換コンバータは一台2000万円もした。以前サウジアラビアで見積もりに訪れた現場で、映像にフリッカーが出るので見てほしいと言われ、オーディトリアムに行くと60サイクルの蛍光灯照明の下でPAL方式の映像を撮っていた。

世界中で一つの国の中に電源が50サイクルと60サイクルの2種類あるのは日本と中東のサウジアラビアだけであり、日本でも関西は60サイクル、関東は50サイクルで、TV方式はNTSCなので関東地方で蛍光灯の照明で撮られたニュース番組などは同様の現象が起こっている。

エジソンによって電気が発明された時、彼の方式は直流であった。弟子のテスラーが交流を発明し、今は利便性から交流中心になっている。その後明治の初期に発電機を米国から購入した電力会社は60サイクル、ドイツから購入した電力会社は50サイクルになって、今の日本ではこういう不都合が起こっている。

ちなみに今でも交流モーターを使う冷蔵庫や洗濯機などはこの境をまたいで引っ越しする時は小さな改造が必要。日本では関東と関西の電力のやりくりの為に静岡県の天龍川付近にサイリスタを使った大掛かりな周波数変換装置があるそうだ。

今回のプロジェクトではこれも大きな問題になった。納入後の試乗時に見つかったのだが中継車の発電機を使った撮影中には問題ないのだが、外部電源を使うとエアコンが効かないとの事。これにより、最後の検収後の支払いが大幅に遅れてしまった。

つまり、トルコの車体改装の会社は60サイクルのエアコンを調達したことがなく、また車載用の発動発電機も50サイクルであった。大いにもめた挙句、外部電源の変換装置を追加する契約をして、何とか支払いを受けた。以前、民放のABS-CBNに中継車を納入した時には日本の会社で改装してもらったので、このようなトラブルは起きなかった。今回はいい経験になった。

世界の常識と自分の知識は違う場合がある。考えてみればフィリピンで使うTV中継車を日本の会社がアレンジしてトルコで組み立てるというケースはあまりないはずだ。まあこういうこともあるという事だ、次からは気を付けようと思った。

中継車の材料を買い始めてから、トルコのイスタンブールで組み立ててもらいフィリピンまで1.5か月の航送を完了して不都合な部分を手直しの後最終入金となるので、銀行からはかなりの長期間借り入れとなった。また中継車に2億円、スタジオに1.5億円が必要で、その間に大幅な為替変動もあり、プロジェクトの大きさの割には利益金額が少なかった。

更にトルコではエルドアン政権発足後のテロを含む政変のタイミングに遭遇してしまい、旅行が困難であった、これもいい経験になった。

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