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ハワイへの家族旅行

今から20年前の2003年の秋に銀婚記念として子供達も連れて家族でハワイに行きました。ここは日系人や日本からの旅行者が多く、ほとんど日本に居るような雰囲気のところでした。日本食レストランがいっぱいあって、スーパーのダイエーまでがホノルルのホテルの近くにありました。そして何よりも米国なのに、ほとんどの所で日本語が通じます。

しかし時差は19時間もあってそれだけ聞くとかなり遠くへ来た印象でした。19時間の時差と言うと少々計算が分かりにくいですが、プラス5時間マイナス一日と考えれば分かり易い。つまり度々仕事で行っているドバイと同じ距離で、地球儀で見ると大阪から南西に8400Km行けばドバイ、南東に同じ距離を行けばハワイという事になります。

従って直行便の飛行機での所要時間はドバイと同じで行きがほぼ9時間、帰りは偏西風の影響で約10時間かかります。ドバイと反対で帰りにプラス1時間がかかります。

ハワイはいい所です

20代後半の頃、中近東に行く時はソ連上空を飛行できなかったのでアラスカのアンカレッジとヨーロッパの町を経由して行かねばならず片道で24時間以上かかりました。中近東は欧州よりも遠い国の印象が強かったものです。

それに比べてハワイは隣の国の印象で西隣の韓国や中国と同様、日本の東隣という感じを持っていました。また日本人が多いという事から文化的にも近い国と思っていました。思い返せば新婚旅行もハワイに行きました。

明治時代の初め頃に、米国が西に領土を拡大して太平洋に至り捕鯨船の補給基地としてハワイの併合を企みました。当時のハワイ王国カメハメハ大王は、これを阻止する為に西隣の日本の皇室との姻戚関係を結ぼうと訪日されましたが、うまくいかず結局アメリカ領になりました。こういう地理的、歴史的関係からも以前から日系移民はたくさん居たようです。

日露戦争の時、日本海海戦で大活躍した東郷平八郎司令長官は若い頃に戦艦でホノルルの真珠湾に停泊して、アメリカが海軍を使ってハワイ王国に理不尽な行為をしないよう見張っていた事があるそうです。

当時の主な交通手段は船によるもので、日本からハワイへは太平洋を直線で行ける事もあり近い印象があります。一方ドバイは南回りの船で行くとハワイに比べて5倍くらい遠い印象があります。ソ連が無くなった事と航空券の価格が安くなった事で、特定国との距離は急速に縮まりました。この距離感と方向感で将来の仕事の進め方を考えたものです。

一方ハワイと日本の間には日付変更線があって日本からハワイへ行く時は西から東へ移動するので時間が一日早くなります。つまり夕方に大阪を出発すると当日の早朝にハワイに到着します。なんか変な感じです。東から西へ移動した時はこれとは反対で一日が消滅します。

時差と日付変更線

地球は球体です。私の仕事での活動は主にアジア・大洋州・中近東・欧州が多かったので、日本は活動範囲の中で東端にありました。従って、日本では毎日一番早く朝が来て一番早く夜がきます。仕事をする場合、相手が働いている時間を計算して連絡をする事は心得ていました。旅行をする時、東西に動くと時間が変わりそれを時差と言います。国境がないとすると中国を除き経度にして15度移動すると一時間の時差が生じます。

一方、赤道を超えて南北に大きく移動すると季節が反転します。また赤道の周辺では季節はいつも夏で太陽が昇る時が朝で沈む時が夜とすると、北極や南極では一年が一日とも考えられなくもありません。地球儀を見ると良く分かりますが一時間の自転角度は360°÷24時間=15°となります。実際の国ごとに定められた標準時は国境の関係があり経度を南北の直線で割ったものではありませんが、大体の目安にはなっています。

750kgの荷物を持って日付変更線を通過

以前4月の金曜日夜の便でロスアンジェルスからニュージーランドのオークランドに出張した事があります。到着すると日曜日の朝でした。しかも晩秋で寒くて、僕の土曜日が消滅していました。当時は会社員だったので出張旅費精算について考えたものでした

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