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カロル・タロン=ユゴン著『美学への手引き』

カロル・タロン=ユゴン著『美学への手引き』(上村博訳/白水社文庫クセジュ/2015)を読みました。書店で「あ、美学の本だ。薄いしすぐに読めそう…。」と、やや不謹慎な動機で手に取ったのですが、内容はすごくしっかりしていました。プラトンから始まって、分析美学まで解説されており、美学史がぎゅっと詰まった一冊です。18世紀以降の流れもカント、ロマン主義、ヘーゲルなど、なかなか丁寧です。ただし、カントなど、それぞれを個別に読んでいたら、もっと理解できるのでしょうが、僕は勉強不足なので、頭の中でパズルのピースが、カチッとはまるところまでは行きません。

著者はフランスの人なので、完全に西洋視点の美学です。でも、まさにそこが知りたかったので好都合でした。原題は単に『美学』。間違っても“西洋”美学なんて付きません。美学といえば当然西洋美学なんでしょう。もちろん本文に、西洋美学以外の美学は1行も出てきません。

いくつか印象的な記述があって、これは当たり前の話ですが、ギリシャ彫刻は神の擬人観である、という表現にハッとしました。擬人化前の神々はどんな姿なんだろう。そもそも姿はないのかな? それを自分の作品に置き換えると、「竹本作品は18世紀日本の擬人化である…。」当たらずといえども遠からず。まあ、歌麿が時代を擬人化したというのに乗っかってるだけの気もしますが。

分析美学の章の芸術の定義は納得です。「諸々の芸術作品のあいだには(…)必要十分条件を示した定義を可能にするようないかなる共通する性質もない」「ヴィトゲンシュタインが家族的類似という定式で名付けるところのさまざまな特徴の網を織りなすことができ」「つまり芸術という概念はさまざまな特性の束から形成されているだけであって、その特性のいずれも絶対的に必要ではなくて、ある対象を芸術作品だと記述する際に、そのいくつかが存在している、ということになります。そのことで意味のある、また使用できる概念を作るのに十分なのです」「したがって、開かれた概念はまたその適用条件が変更されるような概念でもあります」

つまり、芸術の特性に新しい特性を加えることで、芸術の概念の外延を拡げることが現代美術作品を作るということで、何か本質のようなイデアが存在するという考え方は過去のものと言えるのでしょうか。

結論として、どんどん生まれる新たな美術の表現やカテゴリーに、美術界は対応しきれない気がするので、美術、美学、哲学は限りなく融合せざるを得ないのではないか、というのが個人的な感想です。いやぁ、この世界は何をやろうとしても、カントは避けて通れないんですかねぇ…。

#アートの思考過程

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