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勝手にTate shots

展示作業も順調に進み、本日は映像のディレクター、谷口譲さんに撮影とインタビューをしていただきました。勝手にTateshotsプロジェクトです。しかし、インタビューに上手く答えられず、自分で自分にガッカリ。神編集に期待します。ちなみに、以下はインタビューのためにお渡ししたメモです。こういうのが、スラスラ話せたらなぁ……。

私は、現代美術家です。私は、現代美術は西洋美術と思っています。だから、日本人として、現代美術家であることに、常に問題意識を持っています。それと共に、そこには可能性があると思っています。西洋世界にはない価値観を持っているからです。

私は、江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿の作品を元に制作をしています。歌麿は日本の前近代の芸術家です。私は歌麿を、前近代の価値観の象徴として、描いています。

私は浮世絵をモチーフにしていますが、そこで問題になるのが、オリエンタリズムの文脈です。つまり、西洋から見た、理想化されたアジアのイメージを描いているように見えてしまうという問題です。そこから逃れるために、モノクロームで描く必要があります。浮世絵を構成する要素は線と色です。それに依存しない表現が必要でした。

私は絵画以外の表現から大きな影響を受けています。特に古い写真が好きです。アウグスト・ザンダーのような態度で、エドワード・スタイケンのように制作したいと思っています。

映画の影響も大きいと思います。黒澤明のように激しく、フェリーニのように詩的に、ベルイマンのように神秘的な作品を作りたいと思っているいます。

クラシック音楽も重要です。私はいつも、キャンバスから、バッハの独奏曲が聴こえてくるような作品を作りたいと思っています。

現代美術は新しい表現を模索します。新しいとは、何かしら、歴史から断絶しているということです。つまり、それは時代のバグとして生まれます。そして徐々にその価値が理解されて行きます。祝福されて生まれた表現は、現代美術の条件を満たしていません。だから私は、常に理解されないように努めていますし、理解はできないが、重要であると感じでもらいたいと思っています。

私の基本的な姿勢は、自分の中で、美術の全てを再定義することです。芸術とは何か。現代美術とは何か。文化とは何か?歴史とは何か?普遍性とは何か?その中から、次の時代の表現を探しています。

自分の中で美術を再定義した時、現代美術家の持つべき目標は、「現代美術史(西洋美術史)に名前を刻むこと」というのが合理的な目標だと思います。だから、私の活動は、全てその目標から逆算して決めています。もちろん、その目標は、合理的であると共に極めて困難なものですが。

私は、芸術は、宗教から信仰を取り除いたものだと思っています。それが芸術の源流です。芸術が宗教から引き継いだ重要な要素に、崇高さがあります。崇高さがなぜ重要かと言うと、崇高さが政治と結びついた結果、20世期はたくさんの悲劇を経験したからです。だから崇高さを、政治に渡さないように、芸術の中で機能させねばなりません。

近代になって、芸術が宗教から分離した時、自立した価値を持ちました。つまり、芸術は芸術であるというだけで、価値があります。だから芸術を道具として利用する行為は、芸術の緩慢な自殺行為です。地域おこしのための芸術祭はもっとも注意が必要です。

私は日本が好きです。日本に生まれて幸せだと思っています。しかし、現代美術家として生きるためには、それには多くの困難さがあります。現代美術家として生きるためには、西洋の国に留学し、暮らす必要があります。なぜなら、現代美術は西洋文化のコミュニティだからです。

私はインスタグラムが全てを変えたと思っています。インスタグラムがアーティストのコミュニケーションの方法を変えました。世界はよりフラットになりました。少なくとも、インスタグラムが無かった時代のような孤独は感じません。

私の欲望は、1点でも多くの作品を後世に残すことです。私は過去の偉大なアーティストたちの残した作品を見るのが大好きです。そして、それらが今の私を作ったと言えます。だから、これはアーティストの本能だと思います。

私は芸術大学で古いタイプの絵画を勉強しました。だから私は、大学の卒業後に、独学で美術を学び直しました。しかし、そこで重要だったのは、美術だけではなく、人間の営み全てでした。特に多く読んだ本は、文化人類学でした。

私は、アート のキャリアを中断してシナリオを学びました。その経験を経て、物事を深く考える習慣を身につけたと思います。シナリオは、世界を全て、一から作り上げる作業です。そのとき、全てを疑わなければなりません。特に自分の持っている先入観とは慎重に付き合わなければなりません。

今回の私の個展のタイトルは『September Steps』です。もちろん、このタイトルは武満徹の代表作、『November Steps』からの引用です。彼の作品は、オーケストラ(西洋文化)をバックに、尺八と琴(日本文化)が演奏をして、それぞれが調和をすることなく共存しています。これは、多様なものがそれぞれの個性を保ったまま共存するという、私の理想です。それを伝えるために、このタイトルにしました。

私にとって、美術はコミュニケーションです。もし私が、美術という言語をもっていなければ、もっと社会に対して無力だったでしょう。

作品は世界を表現しているわけではなく、作品そのもので、世界の一部です。だから、世界の一部として、存在すべき意味がある作品を作ろうとしています。単純に世界を再現するような表現は選択しません。平凡な作品を作って、世界の退屈を増やすよりも、世界を面白くしたいと思います。

#アートの思考過程

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