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2月ですね。

2月ですね。1月の制作はP20号が3点でした。良し悪しは分かりませんが、以前に比べれば少し時間をかけて描いています。

さて、数日前に坂本龍一さんの「音楽の力は恥ずべき言葉」と題した新聞記事がありました。それは「ナチスドイツがワーグナーの音楽をプロパガンダに利用し、ユダヤ人を迫害した歴史」があるからと説明しています。つまり音楽が持つ暗黒の力が使われるのを自ら戒めているということです。

これは当然、音楽だけではなく、芸術一般に言えることです。僕の理解では、神の代理人としての王権が支配していた絶対王政期が終わり、市民革命を経て近代国家に移行する時、政教が分離して、芸術の力もそこから自立したと思います。やや抽象的ですが、芸術は人間にとって過剰な力を秘めている。だから必要以上に政治や宗教に近づいてはならない。芸術の力は理性を飛び越えて、直観に届いてしまうからです。そのことで最近「オウム真理教って究極にダサかったけど、あれがもっとセンスがよかったら、最悪だったよなぁ」と思ったりします。

つまり、芸術を道具的に解釈するのは避けねばならず、芸術は「芸術のための芸術」であらねばならない、と言うことです。案外、その点でマーケットは政教芸術分離に一定の機能を果たしている気がします。優秀な芸術家が食えなくて国家や宗教の道具にされる状況を回避しているのであれば。ただし、これは全て西洋基準の話ですが。

でも、ナチスドイツができた時に、ワーグナーはもういなかったわけだから、死後に作品が利用されるのに抵抗するのは限界があるなぁ。作品に罪はないし。せいぜい生きている時に注意深く避けるぐらいかぁ。

#アートの思考過程


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