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8月ですね。

8月ですね。7月の前半は個展だったので、制作はP20号が1点のみでした。ただ先日、久しぶりに歌麿の大首絵をネットで検索したら、良さげな、未知の作品の画像を何点か見つけたので、モチベーションは上がっています。

さて、最近、強く感じることがあります。YouTubeやTikTokなどの動画やショート動画が日常になるにつれ、作品の公開だけではなく、作家本人も、映像に登場して、軽妙なおしゃべりをする必要に迫られるのではないかということです。明らかにその方が、何らかの競争力が発揮されるような気がします。

個人的に、ネットに自分を晒すのは、苦手なのですが、良く考えれば、例えばピカソの顔を知らない、なんてありえないですよね。クルーゾーが監督したピカソのドキュメンタリーなどを観ると、やっぱりいいねぇと思います。その生涯が謎の作家は、単なる名もなき作家とも言えます。ここは、やりたいことと、やっていることが、はっきり矛盾しています。この矛盾の解消は必須でしょう。

最近、読みかけて放置している本の、ジョセフ・ラズ著『価値があるとはどのようなことか』には、価値があるとは、理解可能性であると、繰り返し書かれています。理解できないものの価値が測れないのは、まあ道理ですよね。

ただ、僕は人前で話をするのが苦手です。今回の個展のアーティストトークも、内容は結構、良いことを言っているのですが、なにせ滑舌が悪くて、話のペースが遅い。現代人とは思えない間の取り方です。そして、基本、主語が抜けていて、倒置法で話すので、禅問答みたいな会話になります。もっとまともにしゃべれ!と自分で観ていてイライラします(内容は素晴らしいので、ぜひ我慢してご覧ください。YouTubeのCASnpoチャンネルにアーカイブがあります)。

素の自分では、あまりに平凡なので、何らかのキャラ付けをして、こっそり自撮り動画の練習を始めようかなぁ。でも、このFacebook以外の発信は、英語でやると決めているので、必要なのは、結局、英語力かぁ……。

#アートの思考過程

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