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挿絵小説『ラッキーボーイ』第8話

「松井さん、動く」

前回、哲也君は翔子さんを両親に紹介しました。父の満さんは彼女に好感を持ったのですが、母の純子さんは烈火のごとく怒り狂いました。純子さんにとってスケッチブックの不思議な力など知ったことではありません。今ここにいる息子の恋人が四十路というのが耐えられないのです。

哲也君と翔子さんにとって、想定内の事態とはいえ、やはりがっかり感はゆがめません。「やっぱりおかしいのよ、この姿の私が哲也さんと付き合うなんて」と翔子さんは弱気な言葉をもらします。さらに「お母さんの言う通りよ。騙しているとしか思われないわ」とまで言います。哲也君はいつもなら率先して弱音をこぼしているはずなのに、めずらしく何かを考えている様子です。そして、彼は突然、翔子さんの手をにぎると、「行こう」と言いました。翔子さんが「どこへ行くの?」と聞く前に、彼は彼女の手を引いて、どんどん歩き始めました。二人の歩く道は茨の道です。

一方、黒田家では満さんと純子さんが、ざらざらした嫌な空気の中にいました。それを和らげようと満さんはひまわりを手に取ってしげしげと見つめ、「不思議だよな、こんなことができるなら、世界の食糧危機が解決するンじゃないのか?」と言ってみますが、純子さんは「何よ、こんなもの!」とひまわりを取り上げると、テーブルの上に叩きつけました。「あなた、松井さんを呼んでください。彼に頼んで、あの女の化けの皮を剥がしてもらうのよ!!」純子さんの怒りは、さらにパワーアップしています。これぞ母の執念です。

翔子さんの手を引いた哲也君は、とある場所にやってきました。ここは某繁華街のはずれにあるファッションホテル街であります。つまり目的地はラブホテルですね。哲也君、まだキスもしていないのに大胆な行動に出ましたね。しかし彼は、四十路になった翔子さんへの愛を証明するにはこれしかないと思い込んでいるのです。二人の愛は、一方は五年間探し求め、一方は四十路の姿になることで、これでもかと証明されているはずですが、彼には彼の言い分があるのです。その言い分がエッチをしたいだけではないことを祈りたいと思います。二人は中世ヨーロッパのお城をイメージしたホテルに入ることに決めました。良かったですね。今日がクリスマスならホテル難民になるところでした。さて、ここから微に入り細に入り克明に実況中継のごとく描写していきたいと思います。当然、読者もそれをお望みですよね?……と、ちょっと待ってください。ここで審判団からクレームが入りました。長くなるからカットしろという指示です。これは権力による不当介入だ! と怒っても仕方ありません。このサイトがエロ指定閲覧禁止になっても困りますから、ホテルの部屋で行われる、あんなことやこんなことは、ご想像におまかせすることにします。ただそれを一言でまとめると「二人の愛は深まった」と申し上げておきます。お粗末様です。

黒田家に呼ばれた松井さんは、満さんと純子さんから事の顛末を聞いて、とても信じられないという顔をしながらひまわりを見つめました。「何かしらのトリックを使ったのではないでしょうか」と疑っているようです。「若い男をカモにする常習犯よ」純子さんは、松井さんの客観的な判断が自分に近いので心強く感じております。「でも、けっこうな美人だったよな」またまた、ダメですよ、満さん。純子さんの前で火に油を注いじゃ。「何が美人なものですか。冗談じゃありません。松井さん、あの女の秘密を全て暴いてちょうだい。絶対黒田家を乗っ取ろうとしているに決まっているンですから!」話が大きくなってきましたね。松井さんは満さんの意見も気になります。「先輩の直観では、あながち嘘じゃないと?」満さんはひまわりのスケッチを目の前で見ていたので、トリックがあったと思えないのです。純子さんは好意的な満さんに対抗するために奥の手を使いました。「私、こんなモヤモヤした気持ちじゃ、とても安心して列車の旅なんてできないわよ。松井さん、オリオン号の予約を、キャンセルしてくださる?」それを聞いて、満さんは顔色を無くしました。「松井君、引き受けてくれ。オリオン号に乗れないなんて、今まで生きて来た意味がないじゃないか!」そんなオーバーな。しかしこれが黒田満カッコ五十二歳の心の叫びです。満さんからの指示なら、何でも喜んで引き受けるのを信条にしている松井さんは、「わかりました」と快く返事をしました。

高橋英樹似の松井さんは、さっそく付き合いのある優秀な興信所に頼んで、翔子さんの素性を探りました。彼女の調査は多少の時間を要しましたが、一週間後に報告を受けた松井さんは驚きました。施設で育った彼女に身寄りはなく、天涯孤独です。中学を卒業すると工場や事務、販売の仕事などを転々としています。職場の同僚の印象は悪くなく、地味だけどまじめな性格だったとみんな口をそろえて言うのですが、仲の良い同僚というのが一人もいませんでした。だから職場以外の暮らしぶりを知っている人は皆無なのです。そして、どの職場でも、疲れた様子で、日に日に老けていくように見えたというのが共通した印象でした。そして、ちょうど五年前ぐらいから消息がつかめなくなっています。そうです、彼女が行方不明になった頃です。人間が普通に暮らしていれば何かしら生活の跡が残るものですが、それがまったくなくなってしまったのです。松井さんはこの報告に、彼女の孤独と闇を見たような思いがしました。

そして、この報告から、あの四十路の翔子さんが、いま彼が調べている翔子さんという客観的な確証は得られませんでした。しかし、彼女が職を変えるたびに、同僚から持たれている〈老けた〉という印象は、無視できないと思われます。松井さんも全てを肯定するつもりはありません。しかし、何か彼女の生い立ちならあり得るという気がするのです。

松井さんは、翔子さんに直接会って話をきくために、哲也君の行動パターンから割り出した翔子さん行きつけのカフェを探し当てました。そのカフェは隠れ家的な、目立たない階段を登り切った場所にあり、こんな目立たないところで営業していては経営が大変だろうと他人事ながら心配になるような店です。ところがコーヒーにこだわりがあるようで、わかりにくい場所にある割には常連客がカウンターを占拠していました。

今日も、翔子さんはこのカフェで哲也君と待ち合わせをしております。決して高価ではありませんがシンプルなノースリーブのワンピースがよく似合っています。まあ哲也君なら、彼女がどんな服を着ていても大好きと言うでしょうけれど。松井さんは、翔子さんの資料を穴のあくほど見たせいで、彼女のことを遠い親戚と勘違いするほど身近に感じていました。

彼はカフェに入って一通り店を見渡しても、翔子さんを見つけることができませんでした。頭ではわかっていても翔子さんは四十路と意識を変換するのを忘れていたのです。その変換を行うと窓の近くのテーブルに座っている女性客が彼女だと確信しました。松井さんは翔子さんの目の前までゆっくりと歩み寄って立ち止まりました。

翔子さんは松井さんの存在さえ知らないのですから、彼を見て不審な顔をしました。松井さんは回りくどいことを言っても仕方がないと思って、単刀直入に言いました。彼女は自分の置かれた立場や問題を全て理解しているのは間違いないからです。「神崎翔子さんですね。私、黒田哲也君のお父さんの知り合いで松井と言います」正々堂々と自己紹介から始めました。翔子さんは顔をしかめます。この状況を理解している証拠ですね。「ご存知と思いますが、哲也君のご両親は、あなたの存在を大変危惧しております。ご理解いただけると思います。理由はお判りですね……それは鏡をごらんになれば一目瞭然ですから」松井さんが翔子さんを同情の目で見ているのは間違いありません。ですが、彼は純子さんの(二人を一秒でも早く別れさせて欲しい)という意思をくんで行動しなければならない矛盾を抱えているのです。「あなたの寿命を変えるスケッチの力を信じるかどうかは、今は置いておきましょう……不毛な議論は無意味ですから」松井さんはズバリ、哲也君と別れることを要求しました。「彼を愛しているのは理解しています。ですが、あなたも彼の幸せを願っているのなら、別れるのが本当の愛情じゃないですか?」松井さんはド直球の正論でビシビシと内角いっぱいを攻めてきます。さあ、どうする翔子さん!!

つづく

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