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4月ですね。

4月ですね。3月の制作はP50号が2点でした。黒の禁断症状が出たので、最新作の背景は黒にしました。次の個展は9月になりそうです。そちらに向けて、今後は、作品のサイズを小さくしてゆく予定です。

さて、特に報告することも無いので、今読んでいる本の前書きに、軽い衝撃を受けたので、その内容を書きます。それは、「世界はヨーロッパ化していますよね」というテーマの、歴史の入門書です。新書なのでわかりやすく書かれています。

「龍安寺の石庭は普遍的な美しさがある」と言う時、例えば、熱烈な日本びいきのヨーロッパ人が、そう主張したとしても、その普遍はヨーロッパの外の普遍であって、ヨーロッパの普遍ではありません。ヨーロッパ人は、ヨーロッパの外の普遍を普遍とは考えない、と記されています。

その理屈でいえば、スーパーフラットの定義に普遍性があったとしても、それはヨーロッパの外の普遍であって、ヨーロッパの普遍ではないということになります(僕は、スーパーフラットが何か、良く理解していませんが)。

北斎はどうでしょう。この理屈から言うと、あの神奈川沖浪裏のビッグウェーブは、間違いなくヨーロッパの外の普遍ですよね。でも、北斎は富嶽三十六景を制作するより前に、シーボルトのために、完全な西洋風の風景画を描いているので、その文脈上では、半分ヨーロッパの普遍と言い張ることができるのではないかと思います。……まあ、これは僕の個人的な意見ですが。

ヨーロッパの真似をしても、当然、ヨーロッパの普遍には、たどり着きません。一方、新たな文脈を作り出しても、ヨーロッパの外の普遍にしかなりません。右も左も真っ暗闇ですねぇ……。と言うことは、第三の道を行くしかないのは明白ですが。

#アートの思考過程

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