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挿絵小説『ラッキーボーイ』第6話

「再会」

みなさま、ごぶさたでした。われらが黒田哲也君は、またまた圧倒的な不注意力を発揮して、車にはねられてしまいました。何をやっているのでしょうか、まったく世話の焼ける……などとのんきに構えている場合ではありません。今まさに哲也君は虫の息です。頭をアスファルトに強打して、脳に激しいダメージを受けているのは間違いありません。彼を追いかけて来た美恋さんは、ショックのあまり腰を抜かしてわなわなと震えています。「し、し、し、し、し、死んでいる!?」と声にならない声を漏らしております。同時に少し、オシッコも漏らしているのは内緒の話です。

頭が真っ白になった美恋さんがハッと気がつくと、通りのはるか先を歩いていたはずの女性が目の前に立っているではありませんか。地味な白と黒の、花柄のワンピースを着たその女性は、年齢が四十歳ほどの美人さんです。彼女は肩に掛けたトートバッグからスケッチブックと鉛筆を取り出しました。なぜこんな時にスケッチブックを!? と思ったのは美恋さんだけですよね。そうです。彼女は正真正銘の翔子さんだったのです。

なぜ四十歳の外見になってしまったのか。それはこの五年間の哲也君のドジと不注意の蓄積のなせる業と言えるでしょう。「何を考えているの、こんな時にスケッチなんて!」と叫ぶ美恋さんの疑問は、初めてスケッチブックの秘密を知ったわれわれと同じリアクションです。彼女が目を疑うのも無理はありません。「ああ、だから車には気をつけるように、あれほど言ったのに、ほんとドジなンだから」翔子さんのこの発言に、美恋さんはカチンッと来ました。「ドジってレベルじゃないです! 死んじゃったンですよ!」美恋さん、殺しちゃだめです。「いえ、救急車を呼びましょう。ダメ元でも、0、000000001パーセントの希望を信じて救急車を呼びましょう!」翔子さんは彼女の言葉を無視して哲也君のスケッチを始めました。すると、虫の息だった呼吸が、明らかに復活しました。「えええええええッ!? 生き返った!!」美恋さんは開いた口がふさがりません。もちろんそうでしょう。この現象は今の科学では証明できない魔法のようなものですから。そして、それと同時に翔子さんの顔に刻まれたシワがジワジワっとさらに深くなりました。こめかみ付近には新たなシミも薄っすら浮かんでいます。美恋さんはその変化を見逃しませんでした。「おばさん、急に年とってないですか?」と思わず口に出してしまいます。女性同士とは言え、年齢に関する事柄はデリケートですよ、美恋さん!しかし、翔子さんは微笑を浮かべて説明を始めました。「理由はわからないけど、私がスケッチブックに描いたものが生き返るというか、寿命が延びるというか……でもその新しく与えられた寿命の対価として私が年を取っちゃうンです。哲也さんはドジで目が離せなくて、もう何度もスケッチしたから、こんな外見になっちゃったの。これでも本当の年はあなたとほとんど変わらなくて二十五歳なのよ。もう彼とは恋人として釣り合わなくなったから、一緒にいられないけど。ただ、もう少し注意してくれないと、こっちの寿命が尽きちゃうわ」

「凄すぎます、あなた……」美恋さんは目の前で起こった奇跡に率直に感動しました。ハリーポッターファンなので、魔法と聞いても突拍子のないことのようには思いません。現代っ子ですね。ところが、翔子さんはここで痛恨のミスを犯してしまいました。この事実は哲也君には決して知られまいと思っていたのですが、彼はすでに意識を取り戻して翔子さんの話を聞いていたのです。ああ、やっちゃいました。哲也君は目にいっぱいの涙をためて、感動の再会に身を震わせて、鼻水をすすり始めました。

「翔子さんだ!!  翔子さんだ!!  翔子さんだ!!」哲也君はついに翔子さんと再会することができたのです。探し続けて五年目の夏です。「もう離さない!!」哲也君は翔子さんに抱き着こうとしてバランスを失い(さっきまで死にかけていたのですから)彼女の腰にしがみ付きました。そして、わんわん声をあげて泣き始めました。めでたし、めでたし……。

「いやいや、ちょっと待って!」美恋さんは納得がいきません。今は自分と哲也君の大切な初デートの最中です。「もし今の話が本当だとしても、この人はすごいおばさんじゃないですか。とても付き合う年齢差じゃありません!」美恋さんは必死です。それはなぜでしょうか。彼女にも事情があるのです。実は美恋さんはこのお見合いにかけていました。彼女の見かけは絵にかいたようなお嬢様スタイルですが、それほど裕福というわけではありません。父が経営していた家電販売チェーンが倒産して、借金を背負ってからは、毎日タクシーでディズニーランドに行く生活から、四畳半おかずはめざしがごちそう生活に転落したのです。結婚相手を見つけて再起をかけようと思っても、格闘技を極めた体は脱いだらすごいンです。ムキムキですから。主体性がなく、優柔不断で受け身な性格、何でも受け入れてくれそうな、そしてけっこう金持ちのボンボン息子である哲也君は運命の人だったのです。しかし哲也君は翔子さんと再会して完全に舞い上がってしまっています。

「この匂い。この香水は間違いなく翔子さんだ。もう離さない。年なんて関係ない。翔子さんは翔子さんだ。若くても若くなくても関係ないよ。僕が翔子さんと同じ立場になって、見かけがおじさんだから嫌いって言われたら、ショックで死んでしまうかもしれない。翔子さんにそんな思いをして欲しくないし、今の話では僕は何度も何度も助けられたンじゃないか。もう絶対離さないよ。それに最近の四十歳なんて若いから、ほとんど青春真っ只中だよ!」四十路のみなさまに予告したセリフが出ましたね、ここで。あなたに四十歳の何がわかる? と少しは思いますが、ここは哲也君の男気に拍手です。

どうやら二人の間に割って入るのは無理だと美恋さんは悟りました。翔子さんは少し達観したようなところがあるのですが、哲也君は一ミリもそんな様子はありません。彼を説得しようとするのは無駄です。「くやしいけど、すごく素敵です……私もお二人の幸せを祈っています……」美恋さんよく言った。別れのセリフとしては百点満点の好感度です。海の底に深く沈んだ気持ちになりながらも、彼女はペコリとお辞儀をすると、微笑を浮かべて去って行きました。

さて、再会した二十五歳の哲也君と、外見は四十歳オーバーの翔子さんはそれからどうしたのでしょうか。ご想像におまかせしますと言ったら、怒られそうなので後を追ってみますと、二人はそのまま遊園地へ行きました。子供か! と突っ込まれそうですが、これは哲也君の強い希望です。思い返せば翔子さんの行方がわからなくなった時に言っていました、「まだ遊園地にも行ってないのに!」と。その長年の夢をかなえたのです。二人でジェットコースターに乗り、コーヒーカップに乗り、フリーフォールに乗り、密かに期待をしていた観覧車は故障で修理中のために乗れませんでしたが(何を期待したかはおわかりだと思いますが)、二人で初めての遊園地を満喫しました!……と言いたいところですが、世の中そんなに甘くありません。夏休みの遊園地は子供連れやカップル客がたくさん来場しています。その中で二十五歳の男性と外見だけならその母親にしか見えない年齢の女性がイチャイチャベタベタしながら、アトラクションを楽しんでいるのですから、周りの目は決して温かいものではありません。むしろピチピチにはねた生きのいいマグロが一瞬でカチンコチンに凍りつくほど冷たい目であります。二人は五年ぶりのデートを徹底的に楽しもうと決めていたのですが、無邪気に楽しんでいるように見える翔子さんの方が、実は周りの目を気にしがちです。

気持ちはわかりますよね。親子ほど見かけが離れている女性とデートしている年増好きの男と、哲也君が見られているのがビンビン伝わるのです。そして翔子さんの方は、どこでこんな若いつばめを見つけて来たのだと、周りから無言のプレッシャーを受けているような気持ちになります。フードコーナーでソフトクリームを食べている時、ついに翔子さんが口を開きました。

「やっぱり不自然よね。私、あなたが笑われているようで、申し訳なくて、やっぱりこの姿じゃ釣り合わないわ、私たち」哲也君は彼女の言葉に心臓がマグネチュード九・九ほど激しく揺さぶられます。彼も周りの目に気づいていない、と言えば嘘になります。哲也君はめずらしく、深刻な顔をして考え込んでしまいました。

そして、「行こう」と突然、哲也君が言い出しました。「どこへ?」と翔子さんが聞きます。哲也君はキリッとした顔で言いました。「家に行こう、正式に父さんと母さんに紹介するよ」マジですか? そんなことをして大丈夫なのでしょうか。この姿の翔子さんを紹介してしまって。「ダメよ! こんなおばさんを連れて来たら、お母さん卒倒しちゃうから」もっともな意見です。しかし男哲也君、一歩も引く気はありません。「大丈夫だよ。ちゃんと説明するから!」しかし、もともと両親を説得できなかったのに、なぜ今度は大丈夫と言えるのでしょうか? ですが、今回、哲也君は並々ならぬ決意を秘めているようです。さて、彼らの仲はこの先、どうなってしまうのでしょうか? 次回を乞うご期待!

つづく

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