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4月ですね。

4月ですね。3月の制作はP20号が2点でした。先月も少なめ。読書、英語学習、SNSの更新とチェックなど、何でもかんでも隙間時間にやろうとするので、隙間時間クライシスに陥っています。やらないことを明確にするべし。でも、全部大事なんですよねぇ。

昨日、Twitterで偶然、学術俯瞰講義の存在を知って、ほお、面白そうなサイトがあるなぁと思ったのですが、これは東大の講義ですよね。理解できるジャンルは限られますが、制作のBGMが大漁です、ありがたい。そして試しに『なぜ歴史を学ぶのか?』という動画を観てみました。たぶんこれ、歴史を学ぶ人のガイダンス的な入門の講義です。でも、その中で興味深い話がありました。

「歴史の効用」として、なぜ歴史を学ぶのか、その理由が定義されていました。それは「ある対象の過去を時間軸に沿って実証的に整理・確定して示す(史実の確定)。そのとき、その対象は実在すると意識される」とありました。つまり、「日本の歴史」が無ければ「日本」の実在は意識されない、ということです。平安時代にも、鎌倉時代にも、江戸時代にも日本はありましたが、ハッキリと日本という国が意識されたのは、日本史が記述された近代からだと言えます。まあ、その中身は置いておくとして……。

実在が先か歴史が先か?ではなく、歴史化されないものは実在しないのが、この世界の基本的なルールと言うことですよね。冷静に考えれば当たり前ですが。それは国の歴史に限らなくて、都道府県でも学校でも、さらに個人も同じであるらしい。そして、普遍性を重んじる芸術にとっても、歴史化はとても重要です。つまり、創作行為に歴史化という因子が含まれていないといけない。要するに、作品が美術史とどうつながっているかということですよね。

吹けば飛ぶような現代美術家としての僕は、今のところきわめて実在が怪しい。これは、誰かが書いてくれるのを待っている場合ではない。ただし、日本の現代美術は世界で存在感がないと言われていて、事実その通りですが、これは歴史化の弱さでもあるわけで、それは何より歴史記述としての日本語の弱さでもある。最低でも英語で書くのが必須でしょうか。……Facebookのビジネス用のアカウントは英語版にしようと考えているので、ちょうど良かった。

#アートの思考過程


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