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『崇高の美学』

桑島秀樹著『崇高の美学』(講談社選書メチエ/2008年刊)を読みました。なぜ突然、この本を手にしたかというと、単純に『崇高』というタイトルのシリーズを作ろうと思ったからです。僕の崇高に対するイメージは、言葉を超えた高みのようなものだったり、抽象表現主義と近かったりするのですが、この本は18世紀以降の崇高の概念の変遷を丁寧に書いたもので、僕の貧困な崇高感を一変させてくれました。

ただし、この本自体は延々と山岳美学の話が続くので、自分はいったい今、何について知ろうとしているのだと、何度も思ったりしました。ですが要は、西洋の人にとって、アルプスが非常に重要なんですね。ひどく雑に言えば「アルプス、美しい!」でも、アルプスを越えようとしたら死にかけた!…。という、生と死の両義性、両方を合わせ持ったものが崇高の条件ということです。そして、アルプスは巨大過ぎて、全てを絵に描くことは不可能なので、表象不可能性というのも出てきます。この説明はあまりにも雑すぎるなぁ。あと、アルプスなどの険しい地形はノアの洪水で地球が壊れた跡とか、万年雪は季節がないから無時間とか、興味深い解釈がいろいろと出てきます。

美学の流れからバーク、カントからターナーの崇高も詳しく書かれています。でも一番高まったのは、日本の山岳史の章に、横浜正金銀行員で登山家の小島烏水が登場するところです。本文では1行も触れられていませんが、この人は浮世絵の収集、研究でも有名で、当時の浮世絵雑誌ではレギュラーで執筆しています。まあ、崇高とは関係ないと言えばそうですが、僕は歌麿をモチーフに崇高を描こうとしているので、何かの巡り合わせと言えば、言えなくもない。ちなみに小島烏水のコレクションは横浜美術館に収蔵されているそうです(写真の記事は大正四年刊『浮世絵』の創刊号です。発刊挨拶の次の巻頭記事が烏水なので、当時の立ち位置がわかります。隣の橋口五葉は新版画で有名ですが、もっと有名なのは『吾輩は猫である』の装幀ですね)。

で、僕の崇高シリーズは、ぼちぼち制作中です。

#アートの思考過程


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