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読書

松井みどり著『"芸術"が終わった後の"アート"』(朝日新聞社/2002)を読みました。今さら?……。はい、そうです。読んでいなかったもので……。

内容は1980年代と90年代の美術界の状況をまとめたものです。書かれたのは、およそ20年前ですが、いろいろ勉強になりました。僕がインスタレーションを発表していたのは、90年代なので、自分のやってきたことの答え合わせをした感じです。僕の作品を、最大限に都合よく、本書の内容に当てはめてみると「僕の作品は、文化多元主義の文脈で作られていましたが、欧米が非西洋に求めるエキゾチズム、つまりオリエンタリズムの思考の枠外だったので、批評の対象にならなかった(それは欧米が選ぶもので、非西洋が主張する時代では無かった)」となります。すごく図々しいですが。でも、そういう意味では、僕はデビューから一貫して、筋金入りのポストモダンの作家です。ただ、ポストモダンは90年代には、時代遅れとなっていたので、タイミングも悪かったのでしょうか。もっとも、当時、僕はポストモダンの理論など理解せずに、時代の空気で作っていました。

ちなみに、今の歌麿のスタイル(調和せずに共存する)を、本書に当てはめてみれば、オクイ・エンヴェゾに近い路線でしょうか。エンヴェゾとか、何がすごいのか理解していませんでしたが、自力でそこにたどり着くとは、自分で自分を褒めてあげたいです。もっとも、明確に自分を非西洋と定義すれば、時代の海流に乗ってそこに流れ着くのは、必然かもわかりませんが。

さて突然、この本を読んだのには理由があります。最近、インスタグラムで、あちらの批評家の何人かにいいねをもらったので調べたら、その中の思想信条がわかる2名に共通点がありました。1人はイギリスの批評家で、アンチポストモダンのグループを徹底的に批判している人です(wikiで確認)。もう1人は、NYの批評家で、この人の大学時代の先生はロザリンド・クラウスです。つまりたぶん、2人ともポストモダン陣営の方々でしょう。NYの人は、僕の最新投稿から順に、いいね8連打だったのですが、僕がこれをやる時は「最大限にシンパシーを感じてるで!」という意思表示なので、そういうことなら、僕もポストモダン陣営なのでは?と思い、その辺りの事情が書かれている本書を手に取ったわけです。まあ、全て妄想かも知れませんが、勝手にアートワールドとのつながりを実感しました。

推測ですが、抽象表現主義もポストモダンも、生み出した文化と、単に流行として消費した文化では、思想の重さに違いがあるのではないかと思います。でなければ、こんな反応は起きない気がします。

では今、この2020年は何の時代なのか?……ポストモダン以降、モダンが多様化して、コレだ!という決め手はありませんが、哲学界ではポストモダンの後は新実在論が有力という噂です。これが美術界を席巻するのでしょうか。でも新実在論って、難しいんですよね。本書によれば、抽象表現主義が終焉したのは、理論疲れも原因らしいので、もし新実在論アートが天下を取っても、短命に終わって、すごくシンプルな表現に回帰する予感がします。歴史を見れば、人間とはそんなものです。まあ、僕はたぶん、死ぬまでポストモダンの作家なのでしょうが。

#アートの思考過程

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