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精進します。

被写体が言うのも何ですが、これ、いい写真ですよね。撮影は皆さんご存知の大野浩志さんです。誰かにトーク中の写真を頼もうと思っていたのに、すっかり忘れてしまったので、超絶有り難かったです。ありがとうございます!

八木さんとのトークは楽しかったのですが、時間が経つほどに、「あそこはもっと言いたいことがあった」「あそこはもっと違う聞き方がよかった」など、思うところはたくさんあります。また、こんなトークができるように精進します。

常々、僕は自分の目標を「西洋美術史に名前を刻む」と言っておりますが、目標ではなく"目的"を言葉にすると「人類と多様性の両立」でしょうか(つまり、目標の達成を通して、どんな価値を生み出したいのかということです。いちいち喧嘩を売ってる感じですが……)。なぜ人類なんてデカイ話になるのかと言うと、人間は一人一人、違う遺伝子を持っているので、存在自体で多様なんですよね(と養老先生が言っていました)。そして、多様性が失われるのは人間が集まった時じゃないかと思うんです。その集合を象徴的に人類と言ってみました。

近代化=西洋化とすると、世界の数分の1の西洋文化の価値観が、世界を覆っていることになります。現代美術界はその優等生ですね。そこに無自覚にならないように作品を作る、というのが大切だと考えています。

あと、トークの質疑応答で「オリエンタリズム」の話が途切れちゃったのですが、これは後から考えても複雑すぎて一言では答えられないです。ただ、そこで思い出すのは、映画『羅生門』です。有名な話ですが、この映画は公開当時、批評家には不評、興行は振るわず、映画会社の社長は訳がわからないと試写の途中で席を立ちました。それがなぜ、ベネチア映画祭でグランプリを獲ったのかというと、日本映画をイタリアに輸出する会社の社長だったイタリア人が、周りの反対を押し切って独断で出品したんですね。で、羅生門は見た目はバリバリのオリエンタルじゃないですか。でも、本質はそこではないです。それは羅生門をyoutubeで検索すればわかりますが、数えられないほどの海外の人が、カメラワークや演出、哲学を分析した動画が出てきます。理想はこれです。おっと、羅生門と自作を比べるなんて、さすがに喧嘩を売ってますよね……。

#アートの思考過程

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