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トマス・アクィナス

山本芳久著『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書 2017)を読みました。中世は哲学者不作の時代だなぁ、神学かぁ?まあ、とりあえず読んでみるか…。と思いながら手に取った本書ですが、読んでみたらツボでした。キリスト教の教義や言葉の解釈は、よく理解していないので置いておきますが。

すごく簡単にまとめると、トマス・アクィナス(1225頃〜1274)の生きたのは、キリスト教絶対の時代です。そこにイスラム世界からアリストテレスのテクストが怒涛のように入って来たのですね。つまり、キリスト教とはまったく無関係でありながら、完璧な世界の取説が出現したようなものです。僕がツボだと思ったのは、その受容の方法です。それは主に3つあり、

1)全てを受け入れる。
2)部分的に良いところだけを受け入れる。
3)とりあえず受け入れて、元あるものの再定義、アップデートに利用する。

トマス・アクィナスがやったのは、この3つ目です。アリストテレスのテクストを使って、キリスト教の教義をアップデートしたんです。受け入れないという選択肢がなかったのが、さすがアリストテレスの哲学です。この当時から見ても1500年も前なのに。

それで僕は、この受容の方法は、西洋が影響力のある他文化に接する時の原型じゃないかと思うんです。浮世絵が西洋に入った時も、3番目が主な受容の方法でした。

では日本に西洋美術が入って来た時はどうだったのでしょうか。たぶん圧倒的に1番でしょう。日本画のような変化球的な影響のされ方もありましたが。僕がこの辺りにひかれるのは、モダンの再定義をした方がいいんじゃないかな、と潜在的に思っているからでしょうか。

ちなみに、ここから私見ですが、北斎は晩年かなり西洋美術の技法を研究したと思うんですよね。年代的に、そういうものと接触してもおかしくないし。ただ、シーボルトから絵を依頼されて西洋風の作品を描いたのは、富嶽三十六景の制作が始まった後なので、北斎が元からすごかったというのは変わりませんが。

さて、西洋中世の哲学者と言えば、アウグスティヌスとトマス・アクィナスで決まりです。あとはあんまりビッグネームはいないようですが、本当かなぁという気もするので、ググって見つけた、八木雄二著『中世哲学への招待』という新書を押さえで読もうと思います。注文していたキャンバスが来たので、読書ペースはぐっと落ちますが。

#アートの思考過程

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