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10月ですね。

10月ですね。先月は個展を開催したので、完成作は0点です。画像は、新たに描き始めた新作です。インスタでは「この段階が一番好き」というコメントをいただきます。作品は1点でも、プロセスをネットに投稿すると、それだけ世界が広がります。僕の初個展のタイトルは『プロセスの詩学』です。詩学は古代ギリシアでは、広く作ることなので、何かを予言してますね。あくまでも自分の中の話ですが。

もう一枚の画像は『Woman holding up a piece of fabric(014)』です。個展のDMになっていた作品です。この作品は先日、オンラインギャラリー経由で、コレクターの元に納まりました。これはP20号のキャンバスです。このサイズだとコレクションしてくれるのは海外の方(今回は日本在住の外国人の方)です。

で、思ったのですが、作品に価値が生まれるのは、有名なギャラリーが価値を保証した上で、作品を販売することが、わかりやすい方法の一つです。でも、僕は自宅からコレクター宅へ直接発送するので、その過程では価値が生まれていませんよね(コレクションされることで生まれる価値はありますが)。それを補うのは、NYのオンラインギャラリーとartsyに置かれた画像に付くsold outの文字です。でも、サイトが美術史に含まれるかどうかは、定かで無い気がします。ITに依存すると、技術革新の波に呑まれて溺死する可能性がありますから。

……当たり前の話ですが、誰にもマネジメントしてもらえないのであれば、自分でするしかないですよね。という事は、自分の中にギャラリーの機能がないといけない。それが活動の必要条件です。まあ(芸術の概念は違っていましたが)19世紀以前はそれが当たり前ですよね。難しいですが、できない事はないはず……(今は産業革命以来の変化の時と言われていますが、それはつまり、今のギャラリーのシステムが出来た時以来の変化とも言い換えられます)。

ジャンルは違いますが、ガリレオでさえ、収入を補うために、科学機器の製作など、さまざまな副業をしたり、見つけた星に『メディチ家の惑星』と名付けて、権力者にゴマを擦って研究環境を整えるなど、涙ぐましい努力をしています。まあ、ガリレオの場合は、新しい発見を発表するだけで、処刑される可能性があるので、とにかく時の権力者と仲良くなっておく必要がありました。(河出文庫『この世界を知るための人類と科学の400万年史』参照)、逆に今、同じことをしたら、ノーベル賞をもらえたりするのですから、良い時代ですよね。

しかし、時代の価値観に合ったものでなければ、評価されないという構造は、今も昔も変わりません。中世はそれが神学に矛盾しないことでした。では今、私たちを縛っている価値観は何なのか。果たして、その価値観は100年後に「ちょっと、何言ってんのか、わからないんですけど?」とならないのか?

そういう諸々の問題に自分なりの答えを出しながら制作するのが、現代美術の楽しみであり、エキサイティングなところですよね。

#アートの思考過程

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