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小倉拓也さん×福尾匠さん

グランフロント大阪で行われた『カオスに抗する闘い』&『眼がスクリーンになるとき』発売記念、小倉拓也さん×福尾匠さんトークイベントに参加しました。

両著作ともにドゥルーズに関するものです。お二人が大学時代からドゥルーズの読書会でご一緒だったということもあり、和やかな雰囲気でトークが始まり、話が深まるにつれて、考え方の違いが徐々に見え始め、最後は笑顔でボディーブローを打ち合う見事な、参加者を飽きさせることのない、約100分のトークでした。

福尾さんの『シネマ』に向かう姿勢から、ドゥルーズのリテラルの話など、ドゥルーズを1行も読んだことのない僕にも、考えさせられる視点がたくさんありました。この『眼がスクリーンになるとき』のきっかけになったクロニクル、クロニクル!の時の講義は、YouTubeに上がった直後に観てました。

小倉さんは、今回まで存じ上げていなかったのですが、哲学・科学・芸術の話など、すごく面白かったです。たぶん両著作とも読んだら難しくて頭を抱えるのでしょうが、今日のお二人の話はすごく面白くてクリアでした。哲学者の方々は物事を言語化するのが抜群に上手い。ま、それが哲学なんでしょうか。

いつも思うのは、現代美術家はどこまで哲学を学ぶ必要があるのか、という問題です。答えは人による、以上。で終わってもいいのですが、世の中は複雑になりすぎていますよね。そんな中で、何を選択するのかは、創作をしていく上で非常に重要です。それと同時に、膨大な数の選択しなかったものもあるわけです。つまり、自分が距離を置いたものの中身を知る必要は本当にないのかとも思うわけです。全てを知るのは物理的に不可能ですが、ただ素朴に、距離を取るのも、無視をするのも、作家の態度と言えば態度ですよね。決して無ではない。今日のトークの中でも「言及しなかった問題」がけっこう重要でした。

トークが終わって、サイン会が始まりました。今回は「面白かったです」と伝えるために、珍しくサインに並びました。たぶん、初体験かも。これで、家にあるサイン本は小倉拓也、福尾匠、岸田劉生(偽物?)、ギルバート&ジョージ(本物)です。濃い。

#アートの思考過程

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