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アウグスティヌス

出村和彦著『アウグスティヌス「心」の哲学者』(岩波新書2017)を読みました。なるほど、「西欧の父」と呼ばれる所以がわかった気がします。

アウグスティヌスが生きたのは、354年〜430年です。キリスト教がローマ帝国に公認されたのが313年。国教化は392年。アウグスティヌスの晩年にはローマ帝国は完全に終焉へ向かっており、アウグスティヌスが生まれて活動した北アフリカでは、439年にヴァンダル族によってカトリック教会は完全に消滅します。アウグスティヌスの著作、書簡、説教が保管されていた図書館はヒッポにあったのですが、アウグスティヌスの死の翌年夏に陥落します。しかし、資料の全ては戦火の中を運び出されて、ローマの教皇図書館に移されました。

というのが時代背景ですが、つまりアウグスティヌスとは、まだ教義が定まっていないキリスト教の教えに、今日につながるような解釈を多く残した人でしょうか。43歳で書いた『告白』によると、この人の前半生はすごく普通です。ほぼ今の人と同じで、恋や進学、就職やコネに悩み、性欲に負けて失敗し、仲間と哲学をする共同体、今のアートで言うアートコレクティブ的なものを作るために、必死でパトロンを探したり。書物(新プラトン派)に感化されたり。そして、後半生はその反省から真逆の人になり、キリスト教を支える存在になります。

彼から何かを学ぶとすれば、とにかく資料は整理して残すということでしょうか。最晩年には本人が全ての資料を、注釈を付けて整えたので、それがキリスト教をベースにした西欧世界の価値観を支えました。つまりそこが西欧の父なる所以というところでしょう。

僕が一番目を引いたのは、彼は一時期ミラノに職を求めた以外、ほとんど北アフリカで活動したことです。北アフリカは地理的にイタリアに近いし、ローマ支配下で農作物の生産地だったので、逆に今よりも身近な感じですが、やはりイタリアやローマから見れば、周縁の地に違いありません。しかも32歳まではキリスト教徒ではなくマニ教徒でした。そんな彼が、なぜ世界の中心のローマに影響力を持つようになったのか。これは、ド周縁で現代美術をやっている人間としては、非常に興味があると言わざるを得ないですよね。

余談ですが、本文でさらっとアリストテレスの影響のことが書かれていたのですが、この時代のキリスト教世界では、アリストテレスを読んでいたのでしょうか。気になる。

さて、アウグスティヌスも興味深いのですが、その膨大な著作を読んでいては寿命が尽きるので、次はトマス・アクィナスです。

今後も、この読書シリーズは続くのですが、早くも新書縛りが困難になってきました。具体的には近世の哲学者のものが出てないんですよね。その他の判型のものは一気に内容が専門的になるので、理解不能になるのが避けられない。ライプニッツとか、新書の値段では採算が取れないのでしょうか。

#アートの思考過程

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