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挿絵小説『ラッキーボーイ』第2話

「黒田家の人々」

みなさん、こんにちは。やっと更新されましたね、『ラッキーボーイ』の第2話です。ここで我らが主人公の黒田哲也君をもう少し紹介させていただきますと、彼は大学で経済を勉強しております。ですが、円高が進めば日本経済はどうなる? と質問されて天井の蛍光灯の数を、ひい、ふう、みい、よお、と数えだす始末なので、頭の良さは推して知るべしといったところです。しかしながら、まじめさにかけては誰にもひけを取りません。ほとんどまともに授業を受けていない周りの学生たちと違って、教室の一番前の席に座り、いつも熱心に授業を聞いています。にもかかわらず、テストでは赤点ギリギリの点数しか取れないのですが……オーマイゴッド! 

一見救いようのないタイプですが、ひとつだけ弁護させていただきますと、誠実さにかけては安心安全の保証ができます。もし誠実さが日本社会の評価基準単位でドルやユーロと両替できれば、確実に二子玉川に家が建ちます。それぐらい誠実さの貯金があります。未来永劫そんな評価基準にならないのが残念でなりません。

彼の父の満さんは会社経営からセミリタイアして好きな趣味に時間を使うという理想的な生活を送っております。多趣味な彼はたとえるならばその風貌からタモリさんに似ています。ハナモゲラ語を一度も話したことはないと思いますが、ひとまずイグアナの真似から挑戦してほしいものです。恥ずかしかったら日本全国をブラブラすることから始めましょうか。

彼の母の純子さんは意識のほとんどがファッションとアンチエイジングに向かうタイプで、鏡が友達のご婦人であります。化粧の厚さは男性から見ると気が遠くなるほどの堆積層を形成していますが、なかなか可愛げがあってチャーミングなところもあるので、ご本人はギリギリのバランスで、周りからの好感度を確保していると思っております。

純子さんが密かに自分で得意技と思っているのは、菩薩のような慈悲深い微笑みですが、これが他人からみれば何事も笑ってごまかす人という評価になっております。ですが自己の評価と他者の評価が一致する人などいないのですから、そこは気にしなくてもいいのです。しかし、このお年頃の女性は実にたくましいです。言葉を変えて言えばまことに図々しい。その純子さんがいるからこそ黒田家は今日も平和を保てていると言えるのです。

さて、哲也君は翔子さんのアパートがもぬけの殻だったことに心底落ち込んで、重い足取りで自宅に帰ってきました。哲也君と両親が住む家は庭つきの豪邸で、こんなに広い家に生まれて育ったら、さぞかし息子は甘やかされてボンクラに育っただろうと世間から思われても仕方がないほどです。しかし、それを否定できなのがつらいところですが、ボンクラにはボンクラの悩みがあります。その悩みはしんかい一二〇〇〇でも探ることができない、マリアナ海溝より深いのです。少なくとも本人にとっては。

哲也君が居間に入ると、父と母に加えて家族ぐるみで付き合いのある父の知人で、高橋英樹ばりのダンディさを身にまとっている松井和彦さんもいました。松井さんは父の大学の後輩なので、先輩の言うことならどんな無理なことでも喜んで実行するほど、満さんを信頼しております。

「哲也、どうだった? 翔子さんはいたのか?」満さんは哲也君の表情を見て結果は全てお見通しでしたが、一応気を使ってわざと明るく聞いてみました。「引っ越しした後だったよ」と哲也君が苦渋の表情で答えると、純子さんはうれしさを隠しきれない下手な演技で「そう、残念ねえ」と言って見せました。白々しいったらありません。

翔子さんは孤児院で育ったので身寄りもなく、純子さんからみたら家柄など問題にならないそもそも眼中に入らない女性です。彼女にとって翔子さんは黒田家のノドの奥に刺さった魚の骨に等しく、それをわざわざごはんの塊を無理やり呑み込んで苦しい思いをすることなく、骨の方からどこかに消えてくれたのですから、こんなにうれしいことはありません。哲也君の前でそんなそぶりを見せることはできませんから抑えていますが、本当は祝杯をあげたいぐらいです。

一方の満さんは、意外にも翔子さんを気にいっておりまして彼女が消えてしまったことを残念に思っています。「いい娘だったのになあ……私が若かったら、確実にナンパしていたな」と、つい本音をもらしてしまいます。「声をかけるとか言ってよ。ナンパだなんて品のない!」と純子さんは嫌な顔をしました。あれっ、純子さん? ここだけの話ですけど、学生時代にあなたが満さんを、ジャズ喫茶でナンパしたのが二人の出会いというのを忘れちゃいませんか?

松井さんは残念ながら翔子さんと面識がなかったので、満さんに同調して「一目見たかったなあ」とがっかりしました。あ、その仕草、高橋英樹そっくりです。

こんな時、恋人を失った哲也君に「惜しい人を失ったね」と慰めるのか、それとも「女は星の数ほどいるから次を探せばいいだろう」と励ますのか、どちらがいいのでしょうか。この場合の正解は、両方ともブ―ッ! です。哲也君はまったくあきらめていません。実際、彼はこの後五年間、翔子さんを探し続けることになるのですから、甘ったれボーイとしてはあっぱれな忍耐力です。こういうのが一歩間違えばストーカーになるのですね。

「どうだ、松井君。君なら彼女の居場所をすぐに探し出すことができるンじゃないのか?」満さんが義務を果たすかのように聞きました。松井さんは顔も広いし、知人の中には工藤ちゃんのような探偵もいるかもしれません。ところが純子さんは露骨に顔をしかめました。「嫌だ、松井さんはお忙しいのよ。人探しなんか簡単にできるわけなでしょう。テレビドラマの見すぎですよ!」あらら、そんなに顔をしかめるとシワが増えますよ、純子さん。

大人たちの生産性のない会話に正直うんざりした哲也君は、テーブルの上に見慣れぬパンフレットが広げられているのに気づきました。表紙には、豪華にデコレーションされた列車の写真が大きく載せられています。「何だろう?……」哲也君は不思議そうにパンフレットを手に取って見つめました。大きな文字で『オリオン号』という名前が書かれているのが見えます。この列車が、後に彼の運命を大きく変えることになるのですが、今はまだそんなことを知る由もありません。

ここで豪華寝台列車『オリオン号』、別名貴族列車について少し説明いたしますと、日本には豪華寝台列車として有名なカシオペアやトワイライトエキスプレス、あるいは今人気の高いななつ星などがありますが、このオリオン号は本数が少なく、そのうえ一両二名様までの完全貸し切りが基本なため、あまりに希少性が高く、幻の寝台列車と呼ばれています。一説では乗車できる確率が宇宙旅行に匹敵するとも言われています。その存在が疑われるほど幻と言われる理由は、予約方法が公開されていないことにあります。じゃあどうやって予約すればいいの、ふざけるな! と当然の疑問が起こりますが、一番確実な方法でさえ過去に予約した乗客に直接聞くという都市伝説まがいの方法しかないのです。でもそのとんでもなく困難な予約方法がマニアの間で評判になり、希望者は毎年血眼になって予約しようとするのです。もっとも運よく予約できても、実際に乗車できるには、平均五年の待ち時間が必要とされています。つまり、そのすごい豪華寝台列車の予約ルートを松井さんが鉄道マニアの満さんのために見つけ出してきたのです。しかも、その予約は、満さんたちの結婚記念日である、八月三十一日限定です。この予約を取るのは、世界最大の恐竜アルゼンチノサウルスを針の穴に通すほどの難しさです。

とてもそんな話は信じられないですって? いえいえ、オリオン号は信じる人だけが乗車できるのです。銀河鉄道999のように。

「五年か……五年後に生きているのか我々は」と満さんは思わずニヤニヤして、自虐っぽくつぶやきます。念願のオリオン号の予約が出来るのですから、ニヤニヤは止まりません。翔子さんの失踪の件がなければ、乾杯していたところなのに残念です。「五年後なんてまだピンピンしていますよ。それこそ哲也も新しい彼女を見つけて結婚して、私たちも孫に囲まれて悠々自適に生活しているでしょ?」純子さんはごく当り前の平凡な未来を頭に描いております。

ですが、その言葉に哲也君はカチンときます。彼は翔子さんのことをあきらめるつもりなど、まったくないのですから。若者はいつの時代も一途です。ひまな時間はいやというほど持ち合わせているのに、選択肢というものを持ち合わせていないのです。つまり世界が狭い。ほんとうの大人は世界の広さを知っている人のことですね。あ、今いいこと言いました。

「僕は誰がなんと言おうと翔子さんを探し出してみせるよ!!」哲也君は大声でそう宣言すると家を飛び出しました。そして自宅を出て通りを横断しようとしたとき、前方不注意で出会いがしらに大型のピックアップトラックと激しく衝突して跳ね飛ばされてしまいました。あらら、哲也君は頭を地面に強く叩きつけて血まみれです。誰か! 誰か早く来て! 交通事故ですよ!! しかし周りに目撃者はいません。

彼は果たして本当にラッキーボーイなのでしょうか? 最悪のアンラッキーボーイではないのでしょうか? 次回、その秘密が明らかになります。こうご期待! 誰か救急車を呼んでください!!

つづく

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