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『現代美術』

「現代美術」って何でしょう。検索すればすぐに答えは出ますが、美術の全てを自分の中で再定義するのが自分のスタイルなので、ちょっとだけ考えてみます。ただ、何の裏付けもない話なので、こんなことばかり考えていると、どんどん世間とズレて行ってしまいそうです。でも、アーティストなんて、世間とズレてなんぼですよね。

まず「現代美術」の、「現代」と「美術」を分割して考えます。

現代とは何でしょう。もちろん、戦後の時代の名称ですよね。そして現代の前は近代。日本では明治から戦前までが近代で、江戸時代は近世です。西欧では、フランス革命から近代とするか、ルネッサンスからか、文脈によって異なるようです。さらに、第一次世界大戦から、または植民地主義の終わりから、などもあるようです。美術界では、印象派以降が近代というのが、様式的にスッキリする気がします。

このように、時代区分には始まりがあれば、終わりがあるようです。と言うことは、現代も必ず終わります。これが、一つのキーポイントです。ポスト現代がどんな時代かわかりませんが、言葉の定義では、今の現代美術も新しい〇〇美術となるのでしょうか。

さて、後半の「美術」ですが、これはさらに「美」と「術」に分割できます。前近代では、美術は単に「術」と定義されていたそうです。だからダ・ヴィンチは「天才的芸術家」ではなく「天才的な技術の持ち主」ということです。では「美」はどこに?……。思うに美術史は、人間が創作して、そして残された物たちの歴史ですよね。でも、なぜそれが美の歴史なのでしょう。これは単純に考えて、美しいから残ったのではないでしょうか。美しいが故に、手元に残したい、あるいは何らかの付加価値を生み、資産になって残ったのではないのか。逆に、美しくない物は処分されて残らなかった。つまり、美とは「人間に、後世に残したいという感情」を起こさせるための仕掛けであり、更に言えば、美とは「アートの遺伝子の生存戦略」ではないのでしょうか。

しかし、あくまでも、その創作には本来の目的や動機があり(例えば神の栄光を伝えるとか)、それを達成するための術なわけですが、その成果物の中に、たまたま美が含まれている物が後世に残り、美術の歴史を紡いだのではないでしょうか。

一方で現代美術は「美術は美しいものではなく、既成の概念をぶち壊して、新しい価値を創造するものである」と言われています。これは紛れもなく現代という制約の中で作られる美術の特徴です。ただし、「ポスト現代の美術」で、そのまま通用するかどうかの保証はありません。でも、僕の仮説で言えば、その現代美術作品の中でも、結果的に美しさを合わせ持つものは、時代を超えて価値を共有される可能性があるのではないかと思います。つまり、「美術は必ずしも美しいものではないが、美しいものに触れたければ美術史を見ろ」という、実に矛盾に満ちた結論です。

……実はこれを書いたきっかけは、千葉市美術館で開催された、目『非常にはっきりとわからない』展の評判を知ったことです。僕は実際に見ていないので、もしかしたら大きく誤解しているかもわかりませんが、ネットで見た限りでは、100%優れた現代アート作品で、ユニークで、既成の価値観に揺さぶりをかける良い作品のように思います。ただ、そこに美があるとは見受けられません。

#アートの思考過程

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