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読書『現代アート入門』

デイヴィッド・コッティントン著、松井裕美訳『現代アート入門』(名古屋大学出版会/2020)を読みました。

タイトルと装丁を見ると、最近よくある、ビジネスに役立つアート入門的な本に見えますが、著者はキュビスムの研究者です。内容をざっくり言えば、前衛美術とモダンアートの、歴史と定義の変遷です。うっかり本当にアートの入門書だと思って手に取ると、ポカンとなります。あくまでも、分かりやすく書かれた専門書です。

これを僕は、たいへん面白く読みました。「僕のために書かれた本?」と、錯覚するほどに。印象的なトピックを少し紹介します。

(以下、感想が上手くまとまっていないので、興味のある方は、本書を手に取ることをおすすめします)

まずは、前衛の歴史の紹介です。19世紀に西洋社会で資本主義が発展すると、文化にも商業的な価値観が入り込んできました。それを問題視した、一部の芸術家たちは、商業主義的芸術の制度から疎外される存在になります。それが前衛の源泉です。合わせてそれは、近代に不可欠な個人主義の実践でもありました。

ところが、その前衛の原動力であった「新しいものへの熱望と国際主義」は、同時に近代的な消費資本主義の原動力でもあります(GAFAっぽいですものね)。つまり、前衛は、資本主義とテーゼを共有していたのです。だから、前衛が資本主義に呑み込まれたのは必然でした。あのハンス・ハーケですら、呑み込まれましたから。

ちなみに、今でも前衛であるための条件は、「周縁」「専門知識」「コレクティブ」だそうです。

中盤では、女性芸術家について語られています。ローランサン、オキーフ、フリー・ダ・カーロから、シャーマン、クルーガーまで、歴史に残る女性作家は、全て女性をテーマにしています(男性からはそう見えるという意味も含めて)。それは、男性と女性が対等ではないことを意味しています。著者は、そもそも、美術業界の制度としきたりは、男性の偉大さを保護するためにつくられた、とも言っています。

その状況は、今日改善されつつあると思います。しかし、少し視点をずらせば、最近注目されているアフリカ系のカラ・ウォーカーや、シモン・リーなどは、自分の出自がテーマです。人種問題は、男女同権よりも更に根深いということでしょうか。

更に視点をずらせば、これは西洋と非西洋の関係にも当てはまります(この本の中でも、西洋と非西洋の項目があります)。ぶっちゃけて言えば、僕が歌麿をモチーフにするのも、同じ文脈でしょう。現在の環境下で、僕が定めた目標を達成しようと思ったら、それが必然ということを、この本は語ってくれています。

最後はポストモダンをどう乗り越えるかがテーマです。要点だけ言うと、資本主義に異を唱えるかアートか、資本主義の欠点を補うアートかを問われている感じです……。

僕が刺さった言葉は、まだまだ、たくさんありますが、キリがないので、このへんで。いやぁ、いい本を、翻訳してくれたなぁ……。

#アートの思考過程

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