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現代アート100年史

出町柳GACCOHで開催された、長谷川新さんの講座『現代アート100年史 -結果にコミットする13時間集中講義!』の後半を受講しました。

本日は、読売アンデパンダン展に始まり、Tate Modern のPerforming for the Camera 展まで、7時間半の講義でした。長いッ、と言っても歴史の方がはるかに長いので、バッサリ切られているところもありました。ですが、重要だけれども日本ではあまり知られていない側面が選択されていた(ように感じられた)ので良かったです。

一番印象に残ったのは、作品には必ず影響関係があるということです。良く言えば美術史のレイヤー、悪く言えば元ネタというやつです。極端に言えば、それがない作品は受け入れられないので、そもそも歴史に残っていないということでしょうか。たぶん日本では、その元ネタの情報が入っていないので、理解に限界がある、という状況も起こるのではないでしょうか。だから美術史は学ばなければなりません。それも超詳しく学ぶ、言葉の壁があるならば、言葉を学んで原典に当たる。そもそも英語圏の作家に言葉の壁など存在しないのだから。とまで考えたくなります。さすがに作家が、研究者並みに美術史を学ぶ必要はないと思いますが、現代美術をやるのならば、原理的にはそれを知らなければ作れない、ということですよね。まあ、現代美術のルールとでも言おうか。

そして、僕の情報が欠落している直近15年間ですが、ここはまだ歴史化の及んでいないところだと思いますが、本質的なものが選択されていたように思います。僕は海外のアートニュースのチェックと、アートワールドの住人らしき人を見つけたら、インスタで片っ端からフォローをしているので、紹介された作品はほとんど目にしているのですが、残念ながら何故その作品がそこで紹介されているのかまでは、背景と英語力の問題で理解していませんでした。だから今日の講義でそこが整理できて、本当に良かったです。そこまで詳しい内容を日本語で読むのは無理ですから。

というわけで必死のパッチで英語をやらななぁ……。英語さえわかればいいわけではないが、英語を利用して知識を得なければ、それは現代美術をやってるつもりになっているだけ、と言われても仕方がない(おおぅ、書いてて辛い)。

さて、会場で批評誌『パンのパン2号』を、発行されている方から購入したのですが、この内容を東京からはるか離れた場所で、お一人で作られていると聞いて仰天して、何度もどうやっているのか聞き返してしまいました。人間、志があれば不可能なことはないんだなぁ。

#アートの思考過程

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