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『中世哲学への招待』

八木雄二著『中世哲学への招待』(平凡社新書2000年刊)を読みました。今、代表的な哲学者の入門書をソクラテスから時系列で読んでいるのですが、中世が少なすぎると思って、押さえで読んだ本です。ところがどっこい、スゴく重要な気づきがありました。ただし、コマ切れ時間に読みすぎて、全ての内容がしっかり頭に残ったわけではありません。この遅読はなんとかならないものか…。

さて、まず考え違いをしていたのは、中世は代表的な哲学者が数えるほどしかいないので、不活性な時代だなぁ、と思っていたところです。いや逆に、宗教や思想に変化がないということは(もちろん、全く無くはない)、西洋の哲学的な何かが、じっくりと根を張って地盤を固めた時代とも言えますよね。そこを理解しなければ、西洋をわかったことにはならないに違いありません。

この時代は言うまでもなく、キリスト教が絶対的な時代で、全知全能の神様の時代です。この全知全能って自明のようですが、これがなかなか曲者です。要は、神様は初めから全てを知っているということです。普通の人間は物事を経験して、その後その経験が記憶に残りますが、神様はそれが逆で初めから記憶しているものを経験するんです。なぜなら、初めから全てを知っている、全知全能だからです。

そして、神様には時間が無いんですよね。なぜなら、過去→現在→未来という流れの中にいては、神様が何かしらの変化をしちゃうじゃないですか。そしてここ、重要ですけれど、西洋文化は世界の中心に、この絶対不変で全知全能の存在がいるので、非常に変化しづらいタイプの文化ではないかと思うんです。変わってもせいぜい表面だけです。日本は明治維新とか太平洋戦争敗戦とかで、ガラガラッ‼︎っと普通の生活人のメンタルまで、180度変わっちゃいますよね、清々しいほど。これは、ベーシックな文化の違いですよね。

つまり、西洋文化の根底は超保守的で、芸術は特に文化の根っことダイレクトにつながっているので、そりゃ、簡単によそ者の価値観を受け入れませんわ。その理由は神観念の違い。ただし、表面的な部分は時代によって顔を変えると思います。逆に、根っこが変わらないのなら、表面の変化には相当こだわりがあるに違いないです、たぶん。

それともう一つ、西洋は古代ギリシャから現代に至るまで、プラトン的なものとアリストテレス的なものが、せめぎあって成立しているんだなぁ、と感じました。たぶん現在に続くまで、そうですよね。スゴイっすね、この師弟。

あっ、これ全部個人の感想で、ずいぶん誤読してると思います。本の中身は、ヨハネス・ドゥンス・スコットゥスという、知ってる人は知っている哲学者を中心に、中世哲学を丁寧に書いた良書です。

#アートの思考過程

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