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現代アート100年史

出町柳GACCOHで開催された、長谷川新さんの講座『現代アート100年史 -結果にコミットする13時間集中講義!』の前半を受講しました。休憩をはさみつつ、朝10時から夕方5時までの講義です。本日は歴史と美術史、地理的解像度、単線的通史では理解できない影響関係、という視点で、中原実、長谷川三郎などから、ネオダダまで盛りだくさんの内容でした。美術史の知識が怪しいなぁと思って受講したのですが、そもそも知らないことだらけでした。

とてもこの短い投稿で語り尽すことはできませんが、印象に残ったのは(言葉を正確に再現はできませんが)、シュールレアリスムの作家が、まったく無関係なものを出会わせて表現するという、一見何物にも束縛されない自由な行為が、実は世界から出会うべき要素を選択、移動させている時点で、権力の行使そのものだと気づいて行くところでしょうか。ボリス・グロイスもインスタレーションの暴力性について言っているそうだし、民主的な美術などは幻想ですかね。まあ、そんなこと考えて制作したことはありませんが。あと、戦中の左翼芸術家が特撮に参加して超絶技巧でジオラマを作ったくだりも面白かったです。

ただまあ、僕は作家なので作家目線でしか話を聞くことができないわけですが、そこで印象に残ったのは、アートの文脈ではなく、どんな時代も外国語に堪能な人にアドバンテージがあるという事実です。その当然の事実を再確認しました。そして、批評家よりも頭のいい作家は不幸である、と言うのも歴史が証明しているようです。僕にその心配は皆無ですが。そしてさらに、自己プレゼンが重要というのも歴史が証明しています。歴史を学ぶといろいろな気づきがありますね。

さて、明日は後半です。僕には美術の活動から遠ざかっていた2002年から2015年の情報が、スッポリ抜け落ちているので、その中から何がチョイスされるのかが楽しみです。

#アートの思考過程

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