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8月ですね。

8月ですね。7月はP50号を4点制作しました。まあ、マイペースな1ヶ月です。一方、コンセプト作りのために読み始めた『芸術崇拝の思想』が面白すぎて、逆にまだ半分も読み終えていません。1ページ読む毎に手を止めて、考え考えしている状態です。

今まで読んだところで印象的なトピックをあげると「18世紀まで美術という概念は無く、単に術(テクネ)があった」とは、よく語られることですが、それはなぜかという話です。それは単純に、キリスト教の絶対的な世界では、創造するのは神のみで、芸術家はプラトン的な「イデアの模倣の模倣」の世界に生きていたということです。だから、レオナルド・ダ・ヴィンチも当然、天才的な〈技術〉の持ち主です。もし何かを創造したと言い張ったら、宗教裁判行き?でしょうか。

で、啓蒙主義による政教分離、脱神学(何かカントが重要らしいのですが、そこまで頭が付いてゆきません)などがあり、世界はひっくり返ります。神のみだった創造性を人間の理性が担う世界になりました。神という概念で束ねられていたものが解放されて「科学」「技術」「芸術」に分かれました。古い伝統的な価値観は否定されたので、当然プラトン的なものも否定され、美術にとって重要なのは「模倣の技術」ではなく「新しい価値」の創造になりました(理想を求めるロマン主義は、その啓蒙主義への反動らしいのですが、いろいろありますね、人間社会は…)。

もちろん、そんなに単純には説明されていませんが、僕なりの雑な理解ではこんな感じです。そして、そこから勝手に連想すると、現代美術は新しさを求めて、違う分野と積極的に関わりますよね。異分野と結合した〇〇アートはどんどん増殖します。でもこれってキリスト教的世界に図らずも戻りつつある気がします。本来、神の崇高さは美術そのものに移行したのに、それを放棄しているような。あるいは一種の、美術の民主化でしょうか。もっと引いてみれば、西洋文化の独り相撲にも見えます。

まあまだ、この本は半分も読んでないので、これから感想が変わるかもわかりませんが…。

#アートの思考過程


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