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実は、確かに、多重人格。

って言ったら、あなたはどうする?
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20:44。
もうすぐ、と言いたいところだけど、フライトの時間までは12時間ほど。
(なぜホテルを取らなかったのかわからないけど、振り返るにはいい時間。)

友達と、家族と、タイ中を走り回った数日間。充実感、という名の焦燥に駆られて、忘れないうちに留めておきたい。(そんなん忘れるか!?というものの、僕は極度の忘れがち。タスクはアプリにまとめてるけど、思い出は同じアプリには保存したくない気難しさ。)

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初日から数日。
友達と飛行機に現地集合。うきうき。
久しぶりに会った友達はゲロってぃで、うるさいガキどもには少し、静かにして欲しそう(だったけど、ブラックペアンの面白さについて熱弁してしまった)。ごめんなさい。

実は、以前から「多重人格」について綴った記事はあったんだけど、自分でも「100%イイもの」として処理しきれていなかったことと、何よりそう大々的に言いたくもない自分もいたし、本当に悩んでいる方もいる中で、この言
葉は安易とは出したくなかった。

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イタリアン行った時、僕はちょっとだけワインをたくさん飲んだ。(ちょっとだけ、たくさん。つまり、たくさん。)

kさんとmくんの前ではほろ酔いになりたくはない、というか、ちょっと恥ずかしい気もあったけど、それを思い出した時にはもう遅かったので、この際気にせずに飲んだ。(変なこと言ってたらごめんなさい。)

色々話したことは覚えてるけど、なんとも、友達の「(ぼく)っていろんな一面あるよね」って言われて、すっごいびっくりしたし、だいぶ恥ずかしい。

友達には隠してはないけど、嫌われそうで多分出てなかった笑

けど、少なくとも友達には2面を見せてしまった。気がする。

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ぼく自身でも、人触りが違うのはすごく感じる。
それは「こうした方がめんどくさくない」とか、「この人、こういう性格だからこうした方が都合がいい」とか。

大学にいるときは常に「バリモード」(常にアンテナをはって生活することを僕は勝手にそう呼称している笑)だし、たぶんまた違った一面を見せてしまうかもだけど。

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今回旅をしてくれた二人に限ったことではなく、互いを理解するには、十二分に足りていないし、「理解できた」と思わない方がいい、というのがなんとなくの僕ポリシーには記載されているので、何とも言えないけど、理解と認識/尊重の間には大きな差があるんだと思う。

相手を尊重することが大事って無能に生きていることは一旦棚に上げておいて、認識ができないからプライドが邪魔をして言葉が強くなるんかなぁ、とか。

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尊重しなきゃいけない理由ってなんだろう(ってか、この疑問自体愚問かもしれないけど)って考えた時、まだ答えが見つからない。

「海外の人はみんな自由に生きてる。」
「海外の人はすんごい頑張って生きてる。」

ネットでも、現実社会でもここではなんとなく意見が相反しないのは個人的に面白い。(あ、タイマッサージ気持ちよかった。3回も行って逆に凝ってる。)

けど、尊重の度合いが異なるから(自分を自由に開放してるから)、自由に生きてるように見えているけど、社会の輪という概念に踏み入れた瞬間、それは果たして気持ちの良いものだろうか、とか。

頑張って生きてるように見えて、頑張りのベクトルが違うだけで、日本人も頑張っているか、僕らが頑張ってなさすぎるんじゃない、とか。

そう考えれば、日本は「超尊重先進国」。(まぁ、表向きかどうかは別として)

これがいつの間にか、同調圧力と化して「尊重」が底上げされすぎて「文化」という名の綺麗なさらに、義務化されているから、少しだけ気難しくなるんかなぁ、とか。

もっと、尊重も自由になったら、僕はもっといろんな意味で自由になれるような気がする。

…ということで今回はカジュアルに書いてみた。
色々な方面に触れてしまったので、不快な方がいたらごめんなさい。

発言の自由も難しいもんだ。。


そんなタイ旅行でしたっ

追記。
バリモードに入って怖い顔して座っているかもだけど、全然怒ってないから気軽に話しかけてきてね笑

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