本当の「自由」とは何か。形式的な自由に流されないために。

最近、ひょんな事柄をきっかけに、作家の橘玲さんの「体罰教師と、熱血な道徳教師どっちが正しいのか?」という興味深い問いを思い出しました。

それがどんな話だったのかと言えば、たとえば生徒がタバコを吸ってしまった場合、現代における熱血な道徳教師は、真摯に生徒と向き合い、優しく「もうやらないよね…?」と生徒の道徳心に訴えかけようとする。

一方で、体罰教師は、生徒の顔面をひっぱたいて、体罰によってタバコを吸わないようにと仕向ける。

このような状況下において、あきらかに体罰は「悪」だけれども、体罰教師は生徒の魂(道徳心)には決して手を突っ込まない。

一方で熱血教師は、生徒の魂に手を突っ込んで、自分にとって都合の良い方向へと改心させようとするのだ、と。

どちらが本当の意味で“暴力的に”本人の思想信条に踏み込んで介入しているのかというお話です。

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たしかに、このように問われてしまうと、意外と一概にどちらが「悪」なのかは、わからなくなってきます。

生徒の魂を尊重して、傷も残らないような体罰程度でとどめてくれる大人の方が意外と優しいと考えるひとたちが一定数いても、あまり違和感はないよなあと思う。(もちろん、それでも僕は絶対に体罰には反対だけれども。)

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