なぜ、僕らは「思想史」を学ぶ必要があるのか?

昨夜、Wasei Salonの中で、NHK出版から出ている「宗教のきほん」シリーズの『愛の思想史』という本の読書会が開催されました。

みなさんとの読書会を通じる中で、思想史を学ぶ意味みたいなものが、やっと理解できたような気がするので、今日はそんなお話を少しだけこのブログの中でもまとめておこうかなと。

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この点、僕らは、自らが生きるために何か明確な「答え」を求めてしまいがちです。

自分ひとりで考えてみても、到底その正解らしきものは見つからず、自分がどのように立ち振る舞っていいのかがわからないから、その不安や恐れのような感情に突き動かされて、他者が導き出した答えを求めてしまうのだと思います。

そこにある種の「救い」を求めるように、何か答えが書かれてそうなものに頼りたくなってしまうわけですよね。

で、歴史というのは常に一直線に進んできていて、そういう進歩史観のようなものを僕らは頭の中で無意識のうちに想定してしまうので、常にアップデートされ続けているものだと信じてしまう。

現段階における一番右端にあるもの、つまり歴史的に一番あたらしく最先端にあるものが、いちばん「正しい正義」なのだと信じて疑わない。

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