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「小児性愛者」が生物学的に完全な異常である証拠

今日公園を散策していたら小さなどんぐりが無数に落ちているのを発見した。この歳になって、どんぐりを手にするのは何処か違和感があり、しかし、子供の頃にもどんぐりが然程自分の興味の対象から外れていた事もあり、この機会にまじまじ手に取って見ようと決心し、実行に移した。外殻は非常に固く、それでも小さなひび割れを発見したので、そこへ親指の爪を入れて外殻を壊してみた。すると中から栗の実のような容姿をしたどんぐりの実が顔を覗かせた。こんな硬い外殻をしていても中身は柔らかいのだ。これなら食べようと思えば食べれる硬さだな!と、ふとどんぐりが落ちていた上に大きな木やそこから伸びる枝や葉があるのを確認した。果たしてこの硬い外殻や中の柔らかい実を持つどんぐりはこの硬い木からどうしてできたのだろうか?そう思い、木から伸びる枝の先の一部が緑に変色しているのを確認した。これか!と思った。そうだ。どんぐりの外殻も、中身の柔らかい実も全て「木」なのである。何故なら今ここに木と枝、葉、どんぐり、中身が全て一体になっている事が確認できたのである。考えてみれば林檎の実も木なのであるが、林檎が食べられる理由は、林檎の木全体として出した答えが林檎の実だからであると言えよう。この事から考えて、小児性愛者とは、未だ食べられない実になる前の「木」を食べようとしている事と同様なのである。生物学的に見てそれは生きようとしていないのである。即ち食べられない木は自らの栄養にはならないし、この場合、子孫繁栄とはならないのである。約370万年前の人類誕生の経験から、小児が子孫を残せないのは百も承知だろう。生物が真理と真逆に動くという事実は、人類にとっては地球温暖化より遥かに危ない闇を持った事の証しかもしれない。

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