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支援者はママにはなれない

施設の職員に
『ここではみんな家族みたいなものだよ』
と言われた。

ある支援者に
『みんなずっと梓ちゃんの味方だよ』
と言われた。

それらを聞いた私は、


『偽善者ぶるな。』


心の底からそう思った。
気持ち悪いとすら思った。



支援者はママにもパパにもなれない。
それに、実の子供のいる支援者は沢山いる。


『“ずっと”味方』?

じゃあ24時間いつでも私が辛い時に連絡したら助けてくれるのか?駆けつけてくれるのか?

支援者が異動したり、辞めたりしたら、その後はもう連絡すら取れないんじゃないのか?


本当に心から心配して助けようとしてくれる優しい『家族』なら、立場で切り捨てるようなことはしないんじゃないのか??

容易く『ずっと味方』『家族』なんて言葉を使わないで欲しかった。
それはもう、偽善でしかないではないか。


『支援者はママになれない』

分かってる。そんなこと当たり前に分かっている。

でも、
『この人が本当にママだったら私は幸せになれたのかな』
『𓏸𓏸さんの娘になりたかった』
そう考えてしまう。


妄想しては、悲しくなる。


絶対にこの人がママになってくれることは無いのだから。


ある日、就労の女性の職員が、春休み中の小学生の娘さんを職場に連れて来ていた。
勿論、施設管理者の許可は取っているので、悪い事では決してない。

私は子供は好きだ。学童保育で支援員(先生)のアルバイトをしていたくらいだ。子供との会話をすること自体に苦痛は無い。

そして、作業が始まり、私の目の前にいたその親子が会話していた。

ただそれだけ。

でも、娘が何度も色々な話を母親に話しかけていたのにも関わらず、その母親は、逐一その質問や投げかけに反応してあげていて、何か注意することがあっても、叩いたり殴ったりは全くしなかったのだ。
幸せそうにしていたのだ。


それを見た私の心はぐちゃぐちゃになった。


『いいな』『幸せそうだな』『何故殴らないの?』『私のママは外でも頭を殴ってきたのに』『羨ましい』『私のママもこの人だったら良かったのに』『優しいママが良かった』『私の前で幸せそうな親子の会話が繰り広げられているのが辛い』『どうして私のママは私のことを殴ったの?』『この子がずるい』『私も殴られる恐怖無く話したかった』『私に応えて欲しかった』

『私だって愛されたかった』


いくらそう願っても、優しいママやパパは
私の元にはやってこない。

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