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仮説の量産

特に書きたいことはない。天気は晴れ。読んだ本は「初めてのジェンダー論」「競争は社会の役に立つか」「無心ということ」だ。気分は悪くはない。悪い時を思い出せば、悪くない状態は優れている状態だ。良すぎても反動が来る。継続すべきは平穏。凪。細波。

巷ではジェンダーについての話が盛り上がってる気がするので知識をつけたい。
ジェンダー、セックス、性差、性的志向、性役割。

自然(都合よく自然という言葉を利用してはいけない)な動物としての人間。男女で性機能の違いはある。動物でもオスとメスで見た目や行動に違いが現れる。それは性淘汰や性選択。単純な自然淘汰ではなく、より多く繁殖できた種が残り続ける。死ななかったこととたくさん子孫を残した個体のみが残る。

違いがあることは事実。しかしそれを他人に期待することが間違っている。自分の性別を決めるのは自分で、性的対象も自ずから湧き出る。

「女性のいる会議は時間がかかる」

本気でそう思ったのかもしれない。
しかし深く考えればあらゆる批判ができる。

男性中心の意見しか耳を傾けられない人が、女性の意見を理解しようとしない(出来ない)。
全ての人間のための目的を果たす必要があるのに、既に女性を異分子と捉えている。
もちろん男性にも意見をうまくまとめられない人はいる。ただ簡潔に述べればいいわけでもない。

人間は生まれてからずっと自由でなければならない。誰かの犠牲の上に平穏を築いてはいけない。考え続ける。

競争について。競争は時に恐ろしく、敗者に苦しみを与える。その傷は生涯癒えないこともある。
しかし競争によって知恵はつき、文明は豊かになった。人類の推進力になる。

競争は否定せず、苦しみを取り去る工夫が必要。
古い慣習がいつまでも残っている集団には競争が無い。地位を脅かされなければ変わる必要がない。権力者がその座を離れようとしない。

コロナウィルスが代謝を促進した。強制的に変わらざるを得なくなった。刺激によって生まれ変わる。苦痛が前進させる。

無心ということ。無心とは、木石のように静かで、動物のように本能的で、赤子のように純粋に世界を眺め、それでいて人間的な状態である。我々は人間的有心の世界を生きている。それは自我であり言語であり思想であり科学などである。知識は世界を鮮やかにしたが、利己的な人間は有限のものを奪い合い動物や他人を殺してしまう。
欲求を満たし満足しては、更なる不安に駆られ次々と物を欲しがる。無意味な振り子のように時間が過ぎていく。
無心は体験によってしか得られない。言語で表すことはできない。それは月を写す水面のような物。壁や扉のない家のような物。
時間をかけて一通り読んだが、おそらく1割も理解できていない。仏陀による精神的豊かさを手に入れたい。

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