2024/06/23
共同生活がつらいなどということを考えたことがなかったが、いま、先週から始まった多人数との暮らしに、けっこう疲れている。
大学時代は寮生活だったとき苦しく思ったことはなかったし、寮にいるときは、談話室や食堂など、常に人が集まるスペースにいた。当時は、「一人の時間がないとやってられない」と言っていた人の気持ちがいまいちピンとこなかった。一人になることで得られる境地もあるのかと思い、一度寮をでて始めた一人暮らしは、寂しくなってすぐに止めた。
しかし、いま、一人の空間を切実に求めている。
この変化をどう捉えたらよいか。
そう難しい話ではないだろう。
明らかに、利尻島という空間において、新参者の私は、京都にいるときと違って、周囲の目線にかなり敏感になっている。玄関のそとにでれば、いつのまにか、振る舞いに神経を使っているのだと思う。京都では、無責任で恥を知らない学生であることが許されていた。利尻ではそうはいかない。お世話になっている人も居る。外ではやはり、外用の自分にならざるを得ない。だから、心を休ませる場として、まわりの目線を遮断する場として、家がどうしても必要になる。今は、そこが失われた。心を落ち着ける場所がない…。
気を張ること自体は、悪いことではないし、そういうメリハリをむしろ積極的に身につけていきたい。一方で、外からどう見られようが、やるべきことをやっているのだ、という自信、自負をもう少し持ちたい(持てるように行動したい)。
それにしても、自分にも孤独が必要なのだ、という気付きは、ぼくを安心させてもいる。
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