卒論、「筆者」という主語が多すぎるという批判があり、それはそうかとも思ったが、ぼくは加藤典洋を客観的に論じるのではなく、加藤をぼくがどう「受けとる」のかを書きたかったのだと得心した。加藤の価値を読者に押し付けるでなく、自分の受け取り方を示して、読者自身にも考えて欲しかったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?