2024/04/18、踏みとどまって書く

日記の更新のめんどくささに対して思う2つ目のことを書く。
実践と思考を繋げる、といいながら、それがまだうまく架橋できていないということ。実践は具体的で、思考は抽象的だから、というのは、少し話が違うだろう。具体・抽象は、あくまで対象に向ける網膜の網の目の設定の問題に過ぎないからだ。私たちが生きているのは、抽象的であり、かつ具体的な世界である。
本当の問題はどこにあるか。
思うに、実践を思考するには、実践の客体化が必要だが、それを今は保留していること。実践を客体化するには、おそらく、そのために時間(ボーっとする時間)を取る必要があるが、なかなかそれが取れていないこと。
「考えすぎ」をやめること。その先に考えることの本当の意義が露頭する。ひとつは、臆病と区別された理知であり、ひとつは、対象を振り返って捉え直す力である。おそらくこの日記が担うのは、後者のうちの、短期スパンのもの、「その日の振り返り」である。とまれ、いままで、ぼくはこの計画と振り返りという2種類の思考を十分にせずに、それらが臆病さに気圧されていた感じがある。
だから、ここからが本当の始まりだと思う。
思考を忘れたくない。それはぼくの意地である。だから、どんなに忙しくても時間をとって、できれば毎日書こう。振り返る習慣をつけよう。できれば、それに10日の総括、1月の総括、3カ月の総括、1年の総括、というレイヤーをつけたい。だが、まずは1日1日の積み重ね。

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