2024/02/23

沼津→新宿

大学生活のなかで、考えることを支えてくれた二人の在野の書き手のトークイベントに参加した(こういうイベントに生で参加するのは初めてだった)。與那覇潤さんと綿野恵太さん。お二人とも、ポリコレやコンテクストとの距離感を大事にされる方で、また、鬱ないし鬱っぽい状態の経験も自分に重なる。加藤典洋に踏み込んだ発言をされている二人でもある。

低気圧のせいなのか、そもそもそういうものなのか知らないけれど、お二人ともあんまり元気がないように見受けられた。そこにあるある種の停滞感は、現代知、あるいは現代の人間観の停滞感でもあるように思う。


Twitterはしばらく辞めるけれど、綿野さんのツイートだけ毎晩メールで届くみたいなことできないかな。

作品やテクスト読解において考察厨と権威主義が蔓延り、彼らに批評が嫌われるのは、両態度のモチベーションが「正しさ」の追求、不動点への接近にあるのに対して、批評が「正しさ」よりリスクある面白さを求めるからではないか。不動点からの紋切り批評もまたつまらない。

わたしたちのあいだで、言葉がいま倫理的に振舞っているのをみたら、現在の停滞のいちばん露骨な形式に、身をおいた自分を肯定しているか、政治的な言葉を退化させて倫理の言葉で代償しているかのどちらかだ。その倫理の言葉は民衆的にみえようと、反民衆的にみえようとおなじことだ。たしかにあたりには政治に自信をなくしたソフト・スターリン主義の言葉と、現在の華やかな空虚の意味に耐えられなくなった文学の言葉とが折り合いをつけて陥込んだ場所がみえる。この場所はまた別の言葉でもいえる。もう半世紀も前にあらわれた思想的な光景の記憶、スターリン主義がリベラリズムを味方に誑しこんで、自分の双生児である社会ファシズムを曲りなりにも打ち倒した懐かしい思い出の場所だ。そして幾らかの悔恨をまじえて、古い懐かしい日々を回顧したい文学者たちがいま寄り集まっている地平なのだ。

吉本隆明「停滞論」『マス・イメージ論』(講談社学芸文庫:2013)p.37

美味しかった日本酒メモ
・蒼空(京都伏見)
・くどき上手(山形)
・仙禽(栃木)
・水芭蕉(群馬)
・黒牛(和歌山)
・金亀(滋賀)
・紀土(和歌山)
・亀の尾
・醸し人九平次(愛知)
・仁井田本家(福島)
・鍋島(佐賀)
・花巴(奈良)
・奈良萬(福島)
・名寄彗星(北海道)

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