2024/09/22、生きのびるための考え方

ジム:皆さん、自分を否定することが好きですよね。でも、その「自己否定」という《やり方》は間違っています。(…)否定すべきは《己》ではなく、己が選んだ《方法》のみである。(…)そうすれば、どんなこともうまくいきます。

坂口恭平『生きのびるための事務』(マガジンハウス:2024)p.95

上手くやっていくために必要なのは、「適切な性格」ではなく、「適切な技術」である。そう考えてみる

物事には「適切な技術」がある。なにかが上手くいかない。行き詰ってしまった。そのとき、それらを、《性格》=「自分という人間の変えがたい性質」に由来すると考えずに、それらは《技術》でどうにかなる、と考えてみる。《やり方》を適切にすれば、改善すると考えてみる。
時間を上手に使う、お金をしっかり管理する、人間関係をうまくやっていく、そういう基礎的なことから、目に浮かぶように言語化する、飲みの場の会話を楽しむ、美味しく料理を食べる、というような日常の知恵、あるいはまた、不安になりすぎない、人にうまく思いを伝える、近くにいる人を大切にするとか、そういった「永遠の課題」まで…。


《性格》を問題視して、深刻になりすぎない。《性格》を考えることは、物事を深く、真剣に捉えているようにみえて、ただ、考えても仕方がないことを考えているだけかもしれない。悩んでいるだけ。くよくよしているだけ。もちろん、くよくよすることも悩むことも、それ自体悪いことではない。だけれど、それでは前に進まないことも事実だ。そしてまた、前に進まずにくよくよしているだけでは、「生きのびる」ことはできない。生きのびるためには、だから、適切な「やり方」に焦点を当てるようにする必要がある。

くよくよせずに、軽快に進む。「深刻さ」に逃げ込まない。「深刻さ」において怠けない。

変えがたい性格も確かにあるのかもしれない。不具合のすべてを可変の技術に還元するのは難しいだろう。だけれど、そうだとして、変えられないものはまあ仕方がない。変えられないものを知った上で、変えられるものに集中するしかない。

誰だったろうか、坂口恭平について、「風が通っている」と評していたのを目にしたことがある。思うに、変えられないものを知る=自分を受け入れる営みと、変えられるものを磨く=生きのびるために前向きになる営みの2つとが、彼をして風を吹かせている。

風を吹かせたいよね。


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