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加藤典洋論(卒業論文)を公開します、2024/03/15

 2024年1月に京都大学総合人間学部に提出した卒業論文「社会問題と自己の関係——加藤典洋をめぐって」を公開します(この投稿の最下部に、google driveのリンクが貼ってあり、そこにpdfが入っています。もう少し良いフォーマットが見つかれば、再掲するかもしれません)。

 文芸批評家、加藤典洋(1948-2019)の生涯の思索について、「社会問題と自己の関係」をどう考えるかという問題意識が貫かれていた、という立場から、その全体像を描き出したものになっています。
 客観的な対象として加藤典洋を論じるというよりは、在学中、さまざまな社会問題(筆者は、パレスチナ問題を扱うゼミにいました)と自分の距離感が分からなくなった筆者が、「社会問題と自己の関係」を加藤典洋の生涯の思索を跡付けながら考えていく、そういうつもりで執筆しました。自分なりに加藤典洋を「どう受け取るか」を示した論文、と言ってもいいかもしれません。
 『敗戦後論』をめぐる論争や、その仕事の量と幅広さから、一人の文芸批評家としての全体像が見えづらく、また、少なくとも筆者の考えでは正当に評価されてこなかった加藤典洋という人物の思想、態度について、自分なりに鮮やかに描き出すことができたと自負しています。
 執筆過程で、多くの「加藤典洋を知らない人」に読んでもらったこともあり、加藤典洋を知らない人でも読めるものに仕上げたつもりです。というよりむしろ、そういう人が読むことを念頭に、あるいは「ふつうの人」に読んでもらいたいという思いで、執筆しました。

 主査は、小倉紀蔵先生、副査は細見和之先生に務めていただきました。ほかにも小島基洋先生など、多くの先生方にご指導、ご意見をいただきながら執筆しました。また、現在は早稲田大学に移られた岡真理先生には、在学中から格別のご指導をいただきました。先生方、ありがとうございました。
 ほかにも、加藤ゼミ出身者を含め、本当に多くの方にお世話になりながら、書いたものです。ここには書ききれないので、詳しくは謝辞をご覧ください。

長いものですが、読んでいただけると幸いです。

以下、論文要旨とはじめにだけ、このページ上に転載します。

【論文要旨】

 本稿では、個人が社会問題に関与する態度について、文芸批評家・加藤典洋(1948-2019)の思想を手掛かりに考察することを目指す。具体的には、社会問題に関わるときの窮屈さ、違和感、あるいは罪責感に光を当て、社会問題に関わる際のそうした苦しさを知った上でなお、自分と社会の関係を築けるとすれば、どのようにしてか、加藤典洋の思索の跡を辿りながら、検討する。
 本論は以下の4章で構成される。
 第1章では、加藤自らも関わった学生運動とその挫折について、加藤の発言に注目することで、学生運動の経験が差し出した加藤の思想的課題はなにか、加藤の原点を確かめる。また、そこから「敗戦後論」発表に至るまでの、「自分と社会の関係」についての加藤の思索を跡付ける。
 第2章では、加藤が1995年に発表した「敗戦後論」およびそれを発端として起こった哲学者・高橋哲哉との論争について、「自分と社会の関係」についての加藤のこの時点での回答が表出した場として捉え、検討する。主に戦後に生まれた世代の戦争責任についての二人の論を対比することで、加藤の回答としての「ノン・モラル」を取り出す。
 第3章では、加藤の、「ノン・モラルを認める必要がある」という主張と、その前提にあった「実感が重要だ」という主張が、実は矛盾を孕んでいたのではないかという論点を提起し、この矛盾点が晩年まで継続していたことを確認する。
 第4章では、「ノン・モラル」をめぐる加藤の矛盾が、しかし一方では克服されていたのではないかという観点から、このことが窺える批評を取り上げ、加藤の課題克服の様相を捉える。

【はじめに】

 本稿では、個人が社会問題に関与する態度について、文芸批評家・加藤典洋(1948-2019)の思想を手掛かりに考察することを目指す。具体的には、社会問題に関わるときの窮屈さ、違和感、あるいは罪責感に光を当て、社会問題に関与する際のそうした苦しさを知った上でなお、自分と社会の関係を築けるとすれば、どのようにしてか、加藤典洋の思索の跡を辿りながら、検討してみたい。
 筆者自身、大学生活を通じて、それまで特段考えもしなかった「社会問題」を知り、また意識することとなった。性差別の問題、パレスチナ問題、在日朝鮮人の問題。数多くの社会問題について少しばかりの知識を得て、考え、ときに発言することが、このように言うと語弊があるかも知れないけれど、大学生活を豊かにしてくれたように思う。
 けれども一方で、こうした問題に向き合うことは、ときに苦しいことだったのも事実である。社会問題を知ることは、これまで自分が当たり前に暮らしてきたこの社会にいかに不正義が溢れているのかを知ることでもあったからだ。一方では、「そんなのおかしいじゃないか」という正義感を筆者のなかに育てたが、他方で、社会は自分が思っていたよりも汚く、自分がまったく気が付きもしないところでその「汚さ」に苦しんでいる人がおり、そしてまた、自分はそうした「汚さ」を特に意識する必要もない場所でのうのうと生きてきたのだ、という罪責感を抱かせもした。性差別の問題を例にとれば、自らの性別ゆえに悩んでいる人がおり、しかし筆者は、自分の性別など特段意識せずに生きてこられたのであり、またそのように気楽に生きてきた/生きていくことが、いつのまにか、自分の想像のつかない性の苦しみを抱える人を傷つけてしまうのではないか…。社会に関する正義を知ることが、返す刀で、筆者のなかの特権的な部分、不正義に加担している部分についての反省を迫っているように感じ、消耗してしまった。
 この論文の広い狙いは、上に書いたような、社会問題に関わる手前での葛藤を抱える人に何らかの示唆を与えることにある。自分と社会の関係を迷ってしまった人のために書くことを目指したい。
 この、ナイーヴにも思える葛藤は、社会問題それ自体に向いているわけではない。「問題」の構造の解明にも向いていなければ、「問題」の渦中で生きる人々の「リアル」に向いているわけでもない。「問題」それ自体(あるいは「問題」という<他者>)ではなく、「「問題」に向き合っている<私>」に向かう、言ってしまえば、とても内向きの、自意識過剰な葛藤である。
 ただ、社会問題に関わろうとして、上に書いたような自罰感に苦しみ、社会問題に関わる手前で悩んでいる人は、筆者の見る限り、少なくない。多くの人が、様々な形で、社会問題との距離を迷っているように見える。そしてまた、筆者の見る限り、「問題の手前での葛藤」について、最も深い思索を展開した人物の一人が、この論文で取り上げる、加藤典洋である。
 加藤は、いわゆる「運動の季節」(1960年代末~70年代初頭)に東京大学に在籍し、学生運動に参加したのだが、その後、文芸批評家として活躍した彼の文章、発言を貫くのは、「社会問題に<私>はどう関わるのか」という関心であった。そして、彼の批評の出発点には、運動に参加していくなかで、世界(社会)と自分との関係がうまく取れなくなり、神経症に陥ったという加藤自身の経験がある。
 加藤の関心は、それゆえ少なからぬ部分で筆者のそれと重なっており、実際その言葉に出会って助けられもしたのだが、見逃すことができないのは、加藤が晩年に至るまで、原発問題や憲法9条の問題それら自体にコミットし続けたことである。筆者の見る限り、加藤は、一度は社会と「不和」になり苦しい思いをしたのだが、その後も社会に関わった。加藤の発言を読むにつけ、そこから私たちが受け取れることは、社会へのコミットは危険を孕んでいるという警句などには限られず、社会に関わる苦しさを知った上で、なお「自分と社会の関係」を築けるとすれば、どのようにしてか、という考えの道筋でもあるはずである。
本稿では、以上を踏まえて、加藤が「自分と社会の関係」についてどのように思索を展開したのかを跡付け、その変遷と達成について考察する。
本論は以下の4章で構成される。
 第1章では、加藤自らも関わった学生運動とその挫折について、加藤の発言に注目することで、学生運動の経験が差し出した加藤の思想的課題はなにか、加藤の原点を確かめる。また、そこから「敗戦後論」発表に至るまでの、「自分と社会の関係」についての加藤の思索を跡付けたい。
 第2章では、加藤が1995年に発表した「敗戦後論」およびそれを発端として起こった哲学者・高橋哲哉との論争について、「自分と社会の関係」についての加藤のこの時点での回答が表出した場として捉え、検討する。主に戦後に生まれた世代の戦争責任についての二人の論を対比することで、加藤の回答としての「ノン・モラル」を取り出す。
 第3章では、加藤の、「ノン・モラルを認める必要がある」という主張と、その前提にあった「実感が重要だ」という主張が、実は矛盾を孕んでいたのではないかという論点を提起し、この矛盾点が晩年まで継続していたことを確認する。
 第4章では、「ノン・モラル」をめぐる加藤の矛盾が、しかし一方では克服されていたのではないかという観点から、このことが窺える批評を取り上げ、加藤の課題克服の様相を捉える。
 本稿の先行研究に挙げられるものとして、加藤の打ち出した概念である「ノン・モラル」の源流と発展を追った北修哉の修士論文がある。北さんは読書会などを通じてお世話になっている先輩でもあるが、北さんの論文では、自分と世界(社会)との関係がうまく取れなくなった人が、自分を損なわない形で社会や世界について考えるにはどうすればいいかという視点から加藤典洋が読み解かれており、本稿はこの論文と関心を同じくしている。北さんの論文と本稿との違いは、前者が、社会に対して無関心に傾いた人間がもう一度社会に関心を持つ内在的理由(その人の内側から湧く理由)は何か、という問いの究明に取り組んでいるのに対して、後者は、無関心にはなり切れず葛藤をしてしまう人のありように重点を置いていることにある。また北さんは、「ノン・モラル」の源流を探ることを通じて、無関心でいる人間が、社会問題に関心を向ける内在的な理由があるか、という加藤の問いを明確にしているが、北さん自身が結論部で述べているように、加藤は自らのその問いに理論としては答えを与えていない。が、筆者の考えでは、加藤の晩年近くの評論や発言および行動が示唆しているのは、論理的な言葉で説明できる理由の有無にかかわらず、人間は少なからぬ場合において社会問題に関心を寄せて葛藤してしまうという事実であり、晩年の加藤の批評は、このことを確かに掴んでいる。


卒論のリンク

この卒論が多くの方に届き、加藤典洋の思想が物事を考える足場となり、また、社会問題との距離感に悩む人に示唆を与えられれば、筆者として、これほどの喜びはありません。

よろしくお願いいたします。

川副博嗣(かわぞえひろつぐ)
mail:bosichuanfu*gmail.com(*を@に変えてください)
address:利尻島


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