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2024/04/08、大人になっても正直で、恐れないで

南家を発ち、名寄から稚内まで普通電車に揺られています。
昼過ぎに稚内着予定。16時には利尻に帰る。

ありがとうございました。
箒の使い方、頑張って覚えようと思います。
これを、と明確にはなかなか言えませんが、動物を家畜化して暮らすとはどれだけ大変なことか、あるいは、人とのコミュニケーションの取り方、興味の持ち方や、仕事との向き合い方の素敵なものを、少しだけではありますが、垣間見させていただいた思いです。

宿題として出された竹箒の使い方も、しっかり向上していきたい。あれほど単純に見える道具も、かなり奥が深い。竹箒がうまく使えるようになれば、現状下手すぎる体の使い方も随分と改善された、と言えるはずだ。


さて、この一週間須藤さんの博論本を何回か読みつつ(専門的だという意味での難解さはないが、モチーフを掴むのがなかなか難しいと感じる)、書評を書くヒントがありそうだと思って、加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』再読を並行して進めていた。そして、今、この加藤さんの著作に驚かされている。帰りの電車で、8部「技術革新と笑い」まで読み終えた。

重要と思いつつも卒論には直接は繰り込まなかった著作。今になって読むと、かつて読んだ時よりも、頭を整理しながら読めて、結果として、主張がありありと掴めるところが多い。

年齢を重ねて、それなりに立場があっても、こういうふうに現れた課題に対して勉強を重ねて、かつそれをこれまでの自らの仕事に位置づけ差異化さえしながらーーこの本では自覚的な転向が行われているーー思考を進めている姿は、加藤さんという批評家の厚く尊敬すべきところで、見習いたいところだ。

 そして、こういう私に、未来と世界の問題を考えなくては日本の問題をもう一歩も先に進めることができないと感じさせるできごととして、二〇〇一年、九・一一の同時多発テロがやってくる。
 この全世界を震撼させたできごとは、当時、もうこれまでのやり方ではやっていけないことと、つまり、国民国家と資本制システムのもとで米国主導の世界体制にいたったこれまでのあり方を変えなければ「世界が壊れる」ことを示す事態として、受け止められた。しかし私は、一九九一年のマルクス主義思想の可能性の杜絶を受けて現れたこの二〇〇一年の課題を、再びーー国民国家と資本制システムの廃棄をめざすーー一九九一年以前のやり方で解決しようというのでは、一つの後退になる、ここに顔を出している問題から目をそらすことになるだろう、と考えた。問われているのは、むしろ「革命」を禁じ手としてつきつけられた問題にどう向き合うか、ということだった。(…)
 私はそれまで一九九一年の湾岸戦争反対署名運動への批判がそうであるように、つねに時の最新流行の移入思想に動かされる日本国内の思想潮流に疑いを感じてきた。私とてかつてはそうだったのだが、これは学生時代に反体制運動(全共闘運動)に関わってその結果、連合赤軍事件が生み出されたことへの私なりの反省の念から生じた、動かしえない思想態度である。それで、このときも、ポストコロニアルふうの反米的な主張、ポストマルクス主義ふうの「国民国家と資本性システムの打倒」といった論調には、「連赤」の教訓を忘れた同じ種類の腰の軽さを感じ、ややうんざりした気持ちをもっていた。そのため、これらの人々が称揚するイラン人監督モフセン・マフマルバフの「アフガニスタンの仏像は破壊されたのでない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」という文章も、すぐに読もうとは考えなかった。そこにはきっとそれらしい「正義の抗議」が書かれているだろうと思ったからである。
 しかし、私の予想は外れた。(…)
 理不尽な爆撃のもとにおかれた人々への「気の毒だ」という感情。それだけとれば、これはたとえばベトナム戦争のときの北爆、空爆下に置かれたベトナムの人々への同情、連隊の気持ちと違うものではない。けれども、ベトナム戦争のときには、それは直ちにアメリカへの「抗議」へと転換、翻訳できる感情だった。世界はこのとき、私の言葉でいえばメタフォリックに一意の「像」として存在しており、そこでは「よくない」と心に感じられることは「正しくない」と頭が認識し、「いやだ」と身体が反応することだったのである。何が善で何が悪かは、瞭然としていた。
しかし、「頭と心と体」が分裂し、一つのできごとが錯綜した意味合いをともない、多重人格的に複数の「像」として現れる世界で、この心情がもつ意味は、かつてのばあいと大きく異なっている。何が真で、何が善で、美であるかわからないとき、何を足場に考えるべきなのか。この「気の毒だと感じる、その心情」は、そういう状況のもとに現れ、私に反省を強いた。それは私自身の経験に根ざした移入思想、ポストモダン思想嫌いを、捨てさせたのだが、その時私は意外にも、解放されたと感じ、「安堵」した。この心情の発見は私を教育した。

加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』(講談社文芸文庫:2024)pp.205-210

先に見た彼〔=バタイユ:引用者註〕の本に引かれるアステカ族の族長の姿、「一杯のワイン」を飲む労働者、また、「ごく単純にある春の朝、貧相な街の通りの光景を不思議に一変させる太陽の燦然たる輝き」を思い浮かべればわかるように、この「充溢し燃焼しきる消尽」としての〈消費〉は近代の外にあり、近代の規矩を壊して進む、無限性の欲望として捉えられている。
 それはまた、産業システムの枠の外にある。そして「富への完全な侮蔑」を要求している。なぜなら、富とは所詮限りとあるものであり、富の生産とはほんらい、限りあるものの増大にすぎないが、一方、ほんとうの無限は、つねに限りあるものを内から壊す力だからだ。
なぜポストモダンの論は、近代論として成立するのか。権利をもつのだろうか。
 無限の内部性と外部性の双方に光をあてる、近代論として必要十分な条件を備えているからである。
そしてそれが再起的近代化の論に欠けている点でもある。
 無限とは何か。人間とは何か。それて近代とは、何か。
 こう問うてみることが必要だ。

同前、pp.169-170

だから、フクヤマは、ここで、淵源をたどれば一七世紀に世界に現れた新しい人間の生き方の磁気が、役割を終えた、以後、羅針盤が北を指さない時代がくると述べたことになる。ソ連の消滅の前後にそれはなくなった。「彼ら(共産主義国ーー引用者)が存続するかぎり、(彼ら)にたんに否定的であるだけで、何かをやったような気になれた」。しかし一九九〇年前後に、「彼らが崩壊したとき、私は自身が逆説的に彼らに依存していたことに気がついた。私は何か積極的なことをいわなければならないと感じ始めた」と、その一〇年後に述べた柄谷行人は、少なくともこの未来の空白にいち早く気づいた点、鋭敏だったし、それを率直に吐露した分、他の人より正直だったのである。
 これ以後、退場した未来の空白を埋めるべく、これに代わる未来の構想を自分で準備しなくてはならなくなった。そこに問われていたのは、どのようなことだろう。どう考えれば近代の起点とは異なる未来の展望が開けるか。私を含め、気づく人は少なかったが、そこにあるのは近代の起点でホッブズが前にしたのと同型の問いだったのである。その問いに、じつはホッブズとは別の仕方で答えることが求められていたのだ。問いはこうである。
 未来に希望がなくて、本当に人は、生きていけるのか、と。
(…)

「最後の人間」は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』に、

わざわいなるかな!人間がもはや星を産まなくなる時が来る。わざわいなるかな!自分自身をもはや軽蔑することができない最も軽蔑すべき人間の時が来る。
見よ!わたしは君たちに最後の人間を示す。(第一部序章五節)


と書かれ、

彼の種族はノミトビロヨロイムシのように根絶やしがたい。最後の人間は最も長く生きる。(同前)

と記される、頽落的な存在である。

同前、pp.196-197

そして、この本を読んで、(おそらくは自分に都合よく)感じられることは、「加藤典洋の思索の全体を一つの視座によって明らかにする」という意図を持って書いた卒業論文にしかしながら繰り込まなかったこの著作『人類が永遠に続くのではないとしたら』で、加藤が勇気を持って踏み出している思考の、少なくともその出発点は、ぼくがその卒論を書き終えて利尻島に来て、そしてこれから考えたいこととして像を結びつつある思想的課題の出発点を準備しているということである。いや、本当に、都合がいいかも知れないが、驚いている。

有限性の近代という考え方は、そこから逆に無限性の近代という考え方を導く。そしていったん、無限性の近代とは何かと考えてみれば、これまで見てきた近代二分論のほぼすべてが、結局のところ、世界は無限に続くという思いを無意識のうちにひめた無限性の近代の論だったことが見えてくる。「ゆたかな社会」の論、ポストモダンの論だけではない。「成長の限界」の論も、この観点からは、有限性の兆候を自らの(無限に伸長する)システムの外部的な要素ーー克服、回避すべき危機ーーとみなしている点で、なお無限性の近代という考え方のうちにある一分岐だった。それは、無限性の信頼への代案(オルタナティブ)であるかに見えながら、その実、何らかの手だてを講じていなければ、その無限性の前提が壊れるゾという、無限性の側からの「警告」であり、補完策だった。無限性の近代が客船だとすれば、そこに付設された救命ボートにあたる、これを補う論だったのだある。
 同じことが『スモール・イズ・ビューティフル』に代表されるエコロジーの論についてもいえる。そこでは反対に、世界は定常的な自然循環を基底とする生態系の部分を内部社会とし、無限に伸長する産業・市場の部分を外部とする。そしてそこでは、後者の産業、市場が、前者の生態系の安寧を脅かす無限増殖のガン細胞のようなものと見なされる。一見すると有限性が定常社会として肯定されているようだが、その実、そこでのシステムの安寧はいわば荒ぶる無限性を排除することによって得られた共同性ないし全体性の所産である。人間の無限性はもっぱら産業と市場の暴力性に仮託される形で否定されているのである。(…)
「ゆたかな社会」の論、「ポストモダン」の論、「成長の限界」の論、エコロジーの論、つまりここにいう「無限性の近代」の論におしなべて欠けているものが、この無限性はあくまで無限に伸長することを疑われておらず、有限性はそのなかに無限をはらむダイナミズムでとして組み込まれていない。その結果、内部ないし外部に振り分けられた無限性は、産業の無限、社会の無限性、技術革新の無限性、消費の無限性というように浅く限定的に、また一面的にしかとらえられない。外部に現れる有限性も、資源、環境というように外在的、一方向的にしかとらえられない。
(…)エコロジーの思想では、システムはエコ・システムつまり自然(地球の有限性)を基体とする生態系として捉えられている。そこで、物理的には内部があるが構造としてはその外部をなしているのが、市場であり、産業であり、資本性システムである。でもそこでの狭義のシステム(エコ・システムとしての生態系)は荒々しい無限性を内に蔵していない。それは静的なままに定常的である点、無限性を通過していない。そのため、そこに住む人間の内的な欲望、希求、自由は、そこに生きられる過程で、その定常的な世界に合致できる部分と合致できない部分とに分けられる。抑制の効いた知的な配慮、工夫、叡智、能力追求といったものは人間の内部の無限性として許容されるが、際限のない欲望、自由で放恣な精神的な希求、快楽の追求といったものは、同じ内的な無限性としても歓迎されざるものとなる。

同前pp.231-237

つづけて、

しかし、産業も市場もまた、人間の生命体の活動である点、広義の自然に属している。私たちはむしろ、そういう自然史的な観点に踏み出るべきではないだろうか。そう考えてはじめて、この世界の考え方は、有限性の近代の範疇へと、移動することになるのではないだろうか。

同前、p.137

とはいえ、そういう、ぼくが解こうとしている問題と、加藤がここで解こうとしている問題の「偶然」の一致は、考えれば理由のないことでもなく、「必然」があることである。4月10日までに書くのは、この大著についてにしようと思う。須藤さんの著作はもう少し後で…。

メモ

抵抗はどのようなものになるか。
それは、人々に生き延びることだけを考えさせる、そういう力への抵抗でもある。しかし、それはーーアーレントが考えただろうようなーー人を生物としての存在(ゾーエー)に下落させる、そういう力への抵抗なのではない。それは、『成長の限界』の著者たちにおいてそうであり、現在の国連組織の環境政策の決定者たちにおいてもまたそうであるように、ビオスとしての理性的な観点に立ち、世界をどうすべきかと考えると、人々がゾーエーとして見えてくるーーゾーエーとしてしか見えてこなくなるーー、という、有限性の言説が有限性の世界で初めてもつことになる、人をうむをいわさず生きることへとせきたてる力としての生権力に対する抵抗なのである。
 ここにあるのは、人を一元的な目標にまとめようとする力としての生権力である。(…)いまやビオスとしての自分とゾーエーとしての自分の絶対的分離を、自分の中に含んで生きている。有限性という生の条件をうけとめるには、私たちがこの事実を受け止め、引き受けることである。(…)(…)有限性の時代にありうべき抵抗とは、フーコー、アーレント流の立論に抗して、ゾーエーとしての自分にも権利を与えてなされる抵抗である。

同前、pp.403-404

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