南家を発ち、名寄から稚内まで普通電車に揺られています。
昼過ぎに稚内着予定。16時には利尻に帰る。
ありがとうございました。
箒の使い方、頑張って覚えようと思います。
これを、と明確にはなかなか言えませんが、動物を家畜化して暮らすとはどれだけ大変なことか、あるいは、人とのコミュニケーションの取り方、興味の持ち方や、仕事との向き合い方の素敵なものを、少しだけではありますが、垣間見させていただいた思いです。
宿題として出された竹箒の使い方も、しっかり向上していきたい。あれほど単純に見える道具も、かなり奥が深い。竹箒がうまく使えるようになれば、現状下手すぎる体の使い方も随分と改善された、と言えるはずだ。
さて、この一週間須藤さんの博論本を何回か読みつつ(専門的だという意味での難解さはないが、モチーフを掴むのがなかなか難しいと感じる)、書評を書くヒントがありそうだと思って、加藤典洋『人類が永遠に続くのではないとしたら』再読を並行して進めていた。そして、今、この加藤さんの著作に驚かされている。帰りの電車で、8部「技術革新と笑い」まで読み終えた。
重要と思いつつも卒論には直接は繰り込まなかった著作。今になって読むと、かつて読んだ時よりも、頭を整理しながら読めて、結果として、主張がありありと掴めるところが多い。
年齢を重ねて、それなりに立場があっても、こういうふうに現れた課題に対して勉強を重ねて、かつそれをこれまでの自らの仕事に位置づけ差異化さえしながらーーこの本では自覚的な転向が行われているーー思考を進めている姿は、加藤さんという批評家の厚く尊敬すべきところで、見習いたいところだ。
そして、この本を読んで、(おそらくは自分に都合よく)感じられることは、「加藤典洋の思索の全体を一つの視座によって明らかにする」という意図を持って書いた卒業論文にしかしながら繰り込まなかったこの著作『人類が永遠に続くのではないとしたら』で、加藤が勇気を持って踏み出している思考の、少なくともその出発点は、ぼくがその卒論を書き終えて利尻島に来て、そしてこれから考えたいこととして像を結びつつある思想的課題の出発点を準備しているということである。いや、本当に、都合がいいかも知れないが、驚いている。
つづけて、
とはいえ、そういう、ぼくが解こうとしている問題と、加藤がここで解こうとしている問題の「偶然」の一致は、考えれば理由のないことでもなく、「必然」があることである。4月10日までに書くのは、この大著についてにしようと思う。須藤さんの著作はもう少し後で…。
メモ