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小説家Z 水野良樹×柿原朋哉 第2回:小説はより“自分事”としていちいち刺さっちゃう。

「大事なのは内容ですよ」

水野:この『匿名』というタイトル、文章を読む前にイメージするところで、やっぱりすごく現代性があるなって思ったんですね。たとえば音楽の世界でも、顔を出さないで活動されている方は多いですし。SNSを通して、まさにぶんけいさんのような若い世代の方々が出ていくとき、生身の自分ではなくて、もうちょっとキャラクターづけした自分で出ていく方も多くて。

柿原:はい。

水野:そこで起こる良し悪しってたくさんあるから。そして、普通に過ごしている方、エンタメの舞台に上がってない方でも、SNSの顔を使い分けるって日常的にあること。だから現代的なテーマだなと思ったんです。まず改めて、人格をいくつも生きようとしたり、どうにか自分の人生をデザインしていこうしたり、葛藤しているキャラクターたちを書いた動機というのは、どこらへんにあるんでしょう。

柿原:エンタメ的な視点からと、内面的な視点からと両方あって。内面的な視点で言うと、さっきお話したように、本を書くってなったとき、「名義をどうしよう」って悩んでいたんですよ。ここまで活動してきたぶんけいとして出すのも全然あるし。本名、あるいは第三の名前を作る手もあるなと。でも、それを編集者さんに相談したときに、「たしかに大事ですけど、大事なのは内容ですよ」って言っていただいて。

水野:ど真ん中のストレート投げられましたね。

柿原:そう。自分のなかでは重大な決断なんですけど、たしかに中身だよなって思ったんですね。「そこにこだわり続けるのってなんでだろう」って悩んでいた。そして、そうやって日常生活を過ごしているとき、音楽に限らず、顔を出さず名前を変えて活動される方がいろんなところで出てきて。そういうひとたちを見たとき、ちょっとネタバレっぽくなるんですけど、「もしかしたらあの歌手は僕の知り合いである可能性もあるよな」って。

水野:はい、はい。

柿原:って、妄想をしていたんですよ。で、別軸で進んでいた僕のなかにあったものが、「これ1個の話にできるな」と思って、書き始めた感じでした。

水野:ありえるんだよなぁ。

柿原:自分自身もぶんけいとして活動するなかで、パオパオチャンネルというチーム名があるんですけど、「パオパオチャンネルの存在は知っていたけど、メンバーの顔を見たら柿原でビックリしたよ」って言われたことが何度かあって。名前は知られていても、自分の特定がされてないことって結構あるんだなと思っていたっていうのもありました。

「うわぁ、言わないでほしいな」

水野:僕は、はっきりと再会を果たすようなドラマは経験してないんですけど、10代の頃、非常にひん曲がった人間だったんですね。高校1年のときにコミュニケーション不全っぽくなって、クラスの誰とも話さないで1年間を過ごすみたいな。

柿原:それは寂しいとかではなくて。

水野:プツッと切れちゃったんですよ。振り返っても不思議なんですけど、そのクラスでは喋れなくなっちゃった。休み時間になると、グループにいた山下のクラスに行って、そこには友だちがたくさんいて。そこで話して、元のクラスに戻ると何も喋れなくなっちゃう。そういう時期を過ごしたことがあって。

柿原:へぇー。

水野:その時期、いじめじゃないんですけど、ちょっとからかわれたりもするわけですよ。で、僕がデビューして、そのからかってきた方が結婚するってなって。そのとき、「お祝いコメントを送ってくれないか」って電話が来たんですよ。

柿原:あー、なるほど。

水野:いじめられたわけでもないし、そこまでその方とコミュニケーションが破綻していたわけじゃないので、喜んでコメントしたし、相手もすごく喜んでくれて。でもそのとき、「これはどういうことなんだろうなぁ」って思った疑問が、この作品を読んですごく蘇ったんですよ。主人公はある方向性で踏み切っていくんですけど。僕はそのとき、ちょっと僕の名前が知れたこととか、音楽によって他者にちょっと褒めてもらえたことで、以前はうまくいかなかったひととも繋がりができたって言えば、ポジティブに考えてもいいのかな、なんて思ったり。

柿原:うん。

水野:それをこの作品では個人的に思い出しちゃったんですよね。

柿原:嬉しいです。ご自身のそんな経験と重ねながら読んでいただけるなんて。

水野:ここまではっきり一方が有名になってしまったという経験は、誰もが持てるものではないと思うんですけど。だけどみなさん、たとえば、「あいつ出世したな」とか。「あいつキャラクターがどんどん変わっていって、中学のときにはそんなに目立たないやつだったのに、モテるやつになったな」とか。そういうのは経験していると思うんですよ。そこで自分の物語にできる部分が多くある。

柿原:水野さんというか、清志まれさんの小説を読んだときにも、同じように思ったことがあって。

水野:本当ですか。

柿原:自分が脇役になったと気づく瞬間があったじゃないですか。あそこ、たしかに経験しているけど、抱え込みたくない感情だから、見ないふりをしていたものに触れられた感じがして。みんなあると思うんですよね。友だちと過ごしているときに、どっちが主役で、どっちが脇役か。そのヒエラルキーが入れ替わる瞬間。自分自身どっちの経験もありますし。だから、「うわぁ、言わないでほしいな」って思いながら、「これをどう自分のなかに落とし込めばいいんだろう」みたいなことを、読んでいて改めて考えましたね。

水野:僕も今、ご自身に引き寄せて、「こういうことあったな」って思っていただけたことがすごく嬉しいです。これって多分、物語じゃないとなかなかできないことなのかなと。読者の方からもいろんな反応が返ってきていると思うんですけど、どうですか? 思ってもいない解釈をされる方もいらっしゃると思うし。今の僕と同じように、「自分にもこういう経験がありました」みたいなことを言うひともいるだろうし。

柿原:音楽について書いている部分もあれば、タイトルにあるように匿名性について書いている部分もあれば、自分の過去について書いている部分もあったりして。いろんな要素が入って、1冊になっているんですけど。みなさん、それぞれどれかをピックアップして感想をくださるなと思っていて。やっぱりご自身の経験にいちばん刺さる部分を、選んでいるんだろうなって。

水野:あぁー。

柿原:そうやってみなさんの境遇に合わせて感想が来るんだなっていうのが、初めて小説を書いて感じたことでしたね。今まではYouTubeのコメントが、動画につく感想だったんですけど、書いてくれたひとのことがほとんどわからないので。でも小説では、Twitterとか感想を書くサイトがあって、その方が読んでいる過去作とか、大体おいくつぐらいなのかとか、どんな趣味を持っているかとかもわかるから、どんなひとの感想かわかる。


小説の主導権は読者。

水野:僕もそうですけど、自分のことを喋りたくなりますよね。小説の感想って。

柿原:そうかもしれないですね。

水野:今、学生としてリアルタイムで学校という場にいるひとは、やっぱり自分が今、目の前で見ている、起こっていることと小説を繋げて、自分の体験を語りたくなるだろうし。それは小説や物語の書き手と受け手の繋げ方っていうか。

柿原:僕も最近、本を読んでいるときに改めて思ったんですけど。映像って話している相手がいるじゃないですか。AさんとBさんがいたら、Aさんが喋っているとき、Bさんに向かって喋っていて、それが視覚的にわかる。

水野:うん。

柿原:でも小説の場合、AさんがBさんに話しているのは状況的には理解できるんだけど、文字でしかないので視覚的にはどっちを向いているかわからない。なので、こっちを向いているようにも読める。そこがおもしろいところだなと。たとえば、「あんたそういうところ普段からあるよね」ってセリフがあったとしても、まるで自分に言われているかのような感覚になれるのは小説の強みだなって思いました。

水野:あー。

柿原:映画とかドラマよりも、より自分事というか、いちいち刺さっちゃうところが小説にはあるよなって思ったりしましたね。

水野:視点の限定の主導権が読者に委ねられているってことは、非常に重要なポイントですよね。ドラマとか観ていても、映像は今見せたいもののカットになりますもんね。

柿原:そうですね。

水野:目線が動いたことで何か伝えたい意図がある。アップになっているとか、ここの表情は想像してほしいから後ろ姿で撮っているとか。作り手の意図の限定に、僕らは誘導されざるを得ない。だけど文章はもちろん誘導もあるんだけど、かなりその主導権を読者に委ねている。だから今おっしゃったように、ひと言のセリフがどこに向けられているか、その自由度が高い。

柿原:そうですね。主導権という言葉がすごくわかりやすかったです。的確だなと思いました。

次回の更新は9月21日(水)になります。


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