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離れたところから見ているお父さんとしては、グッときた

「I」制作舞台裏インタビュー 
岡田宣×有住朋子

2019.05.23

「あの曲を最後まで書いて、ひとりで歌って、完成させます」

小田和正さんとの楽曲制作のなかで、完成間近まで行って、小田さんの判断もあって、ストップしたあの曲。HIROBAをスタートさせる水野良樹の覚悟とも受け取れる思いが込められたその曲は「I」と名付けられた。

「I」の世界をより深く探るべく、制作に携わった3人のスタッフがそれぞれの視点で語る短期連載。最終回は、HIROBAディレクターの有住朋子さんが登場。いきものがかりディレクターの岡田宣さんを迎えたダブルインタビューをお届けします。

簡単に言うと、陽と陰みたいな。陽はいきものがかり、陰はHIROBA。でも、両方とも彼が持っているものだから

──「I」のお話の前に、まずは岡田さんと有住さんのお話から伺いたいのですが、おふたりがディレクターを目指したきっかけを教えてください。
岡田 俺は最初、録音、つまり音を記録するということにすごく興味があったんだよね。それが中学生くらいのときかな。電池で動くソニーの「デンスケ」っていうカセットレコーダーが家にあって、それを肩に担いで、マイクをつないでいろんな音を録りに野外に出てたの。その頃は音効さんになりたかったんだよ。映画とかの映像にふさわしい音を付ける仕事ね。映画を見ていても、映像と音の違いが気になっちゃって「適当な音を付けてるなぁ」「雑な仕事してるな」って思ってたわけさ。そういう中学生だったんだよ。

有住 うわぁ、めんどくさい…(笑)。

岡田 そういった“音”への興味と音楽がミックスしだして、いろんな洋楽なんかも聴くようになって、音楽の録音というところに向かっていったんだよね。そうすると甲斐(俊郎)みたいに録音のエンジニアになりたいなって思うようになったわけ。ちょうどその頃に信濃町のソニー・ミュージックスタジオがオープンしたことも知って、スタジオで録音するということに興味が涌いてね。

参照 「I」制作舞台裏インタビュー 甲斐俊郎 水野くんが興奮してスタジオのなかをウロウロし始めると「よっしゃ!」って思います

それで、さらにそこから一歩引いて全体を俯瞰して見るのは誰なんだって考えになっていって、それでディレクターにたどり着いたんだよね。大学生の頃は、ジャズ研究会に所属して楽器も少しはやったけど、ミュージシャンになりたいとは思わなくて、裏方になるって決めていたんだよね。プロを目指す人たちも多かったから、先輩からは珍しい奴だなって思われていたよ。

そこから、実践的に知識や技術を学べるところがないかって、いろんな情報を集めて自分なりに考えて、原盤権なんかを持っている音楽出版社の日音という会社に入って。3〜4年、そこで仕事して、1991年にEPICに転職したんだよね。EPICに入ってからはずっと制作の現場で。

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──子どもの頃から音を録ることに興味があって今に至るというのは、すごいすね。意志を通されたというか。有住さんはいかがですか?
有住 私は音楽活動をしていて、その活動が終了するのに伴って「EPICで仕事してみないか」と声をかけてもらって、EPICに入社してすぐ岡田さんのアシスタントディレクターとして、制作の仕事に携わらせてもらったのがきっかけですね。

岡田 俺がスタッフに加えたいと思う基準のひとつは、「価値観を共有できたり、理解者でいてくれる」ということでね。もちろんそれが全員そうだとうまくいかないんだけど。

──おふたりがいきものがかり水野良樹と最初に出会った場面や印象を振り返っていただけますか?
岡田 これは「いきものがたり」にも書かれているから詳しくは語らないけど、こちら側のストーリーで言うとね…いきものがかりの担当ディレクターが変わるタイミングがあったんだよね。上司から「A&Rは決まっているんだけど、もうひとり、スタジオワークをすぐにできるディレクターを探している」って相談されて、思い当たる人選を伝えたんだよ。少し考えてみるってなったんだけど、それから「やっぱり、岡田、やってくれ」って言われて(笑)。それで、1stアルバムの後から担当するようになって。最初の曲はシングルが「夏空グラフィティ/青春ライン」か。その後、2ndアルバム「ライフアルバム」だな。アルバムのタイトルを決めるのが難航したんだよね…この場所で!

注釈:「いきものがたり」 2016年8月に発売された自伝的ノンフィクション。水野良樹が、自分たちの出会い、グループの結成、路上ライブ、メジャーデビュー、そしてその後の大成功までのプロセスを、自ら書き下ろした。2019年3月の文庫化(新録改訂版/小学館文庫)に際し、いきものがかりの放牧から集牧までの事を、新たに書き下ろして収録。
注釈:A&R  「Artists & Repertoire(アーティスト&レパートリー)」の略。担当アーティストの音源制作や、その音源をどのようにしてプロモーションしていくかの戦略を練り、実践する仕事。
注釈:「夏空グラフィティ/青春ライン」は2007年8月リリースの、いきものがかり6枚目のシングル。「ライフアルバム」は2008年2月リリース。

有住 カジノスタジオ、すごいなぁ(笑)、本当にいろんな歴史を見てきたスタジオですね。

岡田 そうそう、いちばん最初にいきものがかりを見たのは、デビューする頃の厚木市文化会館小ホールでのライブで。「東京猿物語」って曲をやってさ、「変な曲だなぁ」って思ったんだけどね。そのときは自分が担当すると思って見ていなかったから…印象としては、よく言えば「親近感のある3人だな」って。悪く言えば「田舎くせぇなぁ」って。
(一堂爆笑)

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ただ、あの3人の佇まいっていうのは、オリジナリティはあったよね。なんか、初期のドリカムとも違う、何か雰囲気というか。「田舎くさい」とか「ダサい」っていうことは…解釈が難しいところではあるんだけど、俺たちのなかでは褒め言葉として使って、うれしそうに「ダサいなぁ」って言うことがあるんだけどね。例えば、俺と水野がポップスをつくるなかで会話をするときに「古いね」って言葉がいい意味で使われたり。ベタなことを恐れないという感覚が俺たちのなかにはあって。そういった感覚の…なんというか予感みたいなものは、初めてライブを見たときにあったんだよね。そのときは自分のこととして見ていなかったけど、あらためて担当として接するようになったときに「こいつらは、そういった感覚を良しとしているな」って思ったね。ポップスの系譜を継承しようとしているというか。何かを一から発明しようということではなくて、先人の築き上げたものに基づいているという感覚がどこかにあるんだよ。「つくりだす」という気概はもちろんあっていいんだけど、謙虚になる気持ちもやっぱり必要なんだよね。えーっと何の話だったっけ?

──いきものがかり水野良樹との出会いですね。有住さんは先ほど「1ミリもいきものがかりに触れていない」とおっしゃっていましたが…。
有住 そうなんです。もちろんこれまでに会ったことはありました。岡田さんがいるレコーディング現場を見学に行ったことがあって。もう10年くらい前ですね。でも、きちんと会話したことはなくて、テレビなんかのメディアを通して見るいきものがかりしか知らなかったから。今、その印象で水野くんと接していると、まったく真逆に近いというか。

岡田 いざ、接してみて、メディアを通しての印象と実際の水野良樹の印象って、何が違います?あれ、なんで俺が質問してるんだ…(笑)。

──そこは、みんなが知りたいところですから。
有住 簡単に言うと、陽と陰みたいな。陽はいきものがかり、陰はHIROBA。でも、両方とも彼が持っているものだから。

岡田 もともとはすごく内向的だよね。

有住 すごくシャイだし。いきものがかりのときとは全然違う印象だったから、少しびっくりしました。初めていきものがかりのライブを見た、HIROBAのA&Rアシスタントの子も、「水野さん、よく喋るし、(HIROBAのときと違って)あんなにはっちゃけているんですね」って驚いていました(笑)。

岡田 なるほどな、そうだよな。

有住 5年くらい前に、水野くんのソロライブを見たことがあって。あれ、何で出たんですかね?

注釈:「OTODAMA FOREST STUDIO in 秋川渓谷 -10周年SPECIAL-」 2014年4月に2日間にわたって開催された野外ライブイベント。水野良樹はソロとして2日目に出演した。

岡田 うーん、やっぱりあの頃から、いきものがかりではない自分というものを探しているんだろうね。唐突だったし、音源をリリースしたわけでもなかったけど「やってみたい」ということで。それが今に至って、もう少しかたちになったのがHIROBAなんだろうな。

──そういった出会いを経て、いよいよHIROBAにつながっていくわけですが、水野さんからHIROBAについて初めて話を聞いたときはどう思いましたか?岡田さんは早い段階からお話を伺っていたかと思いますが。
岡田 いや、俺ね、直接相談された記憶はないんだよ。担当が俺じゃないっていうのは…どうやって知ったんだっけなぁ。でも、俺…本当は管理職なんだよね。
(一堂爆笑)

いきものがかりとの出会いが…よく言うと「(いきものがかりとの出会い)の、おかげで」今に至ると。悪く言うと「(いきものがかりとの出会い)の、せいで」まだ現場にいると(笑)。でも俺は現場が好きだからね。「おかげで」と思っているよ。

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──水野さんから直接聞いていないというのは意外でした。
岡田 あんまりそういうことは言わないからね、水野は。うーん、今さ、水野はいろんなことやっているじゃない。楽曲提供して、講演なんかもやって、バーのマスターみたいなことやったり。

注釈 「たとえBAR」 水野良樹がマスターを務めるバーを舞台に、たとえ好きの常連客がたとえ話に花を咲かせるという内容の、NHKのトークバラエティー番組。これまでに第1弾、第2弾が放送された。

自己表現の場を探してるんだろうな、文章なんかもそうだし。もしかしたら、Twitterがその目覚めだったのかもしれないよね。Twitterを始めたときに、制限なく、わりと自由に書いていて。制限があったら始めた意味はなかったんだろうけど。情報提供する場ではなく、自分の文章での表現の場として始めたわけだよね。それが本(「いきものがたり」)になってね。あれ、10周年に向かって、いろんな過去のエピソードを重ねていったんだよね。だんだん過去から現在に近づくにつれて、「ああ、そろそろ終わるな」と思っていたんだけど、ある日突然、俺との出会いのエピソードが載ったんだよ。あいつがズルいのは、「これを書くと嫌がる岡田」を想定して書いているんだよ、織り込み済みで(笑)。「こういうことを書くと嫌がる人なんだけども」という但し書きが付いていて、こちらは何も言えないんだよ。

──岡田さんは近くで見ていて、水野さんがそういった表現の場を求めていることは感じていたわけですね。
岡田 そうだね。今、いろんな自己表現の手段を試している段階だと思うけど、それが正しいかどうかは分からない。もしかしたら、選択をして、何かにもっと集中した方がいいかもしれないし。もちろん今も選択はしていると思うけど、もっときつい選択をして「これだ!」って決めるというか。何かサジェスチョンをした方がいいのかもしれないけど、まぁ、聞くような人ではないし、まずはやってみるしかないなとは思うよね。俺は俺なりに「この方がいいんじゃないかな」というのはあるよ、言わないだけで。

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自分のトライを全うしようとしていることが伝わってきて、離れたところから見ているお父さんとしては、グッときた

──有住さんがHIROBAについて初めて聞いたのは、どんな場面だったんですか?
有住 岡田さんから「やってくれないか」と言われて、「俺はいないけれども、ちょっとした分身のような人間が水野のそばにいるといいんじゃないか」という感覚なのかなと思っているんですけど。新しいことをやるということに、純粋に面白さを感じましたね。

岡田 これは今日の話の核心かもしれないけど…水野良樹はHIROBAでやりたいことはいっぱいあると思うんだけど、そのなかの裏テーマのひとつが「親離れ」だと思うんだよね。長年ディレクターとして見てきた俺を親だとするならね。HIROBAを始めるってなったときに、制作のサポートをする人間が必要だと思って考えたなかで、有住がいいかなと思ったんだよ。俺ととんでもなく違う考えは言わないだろうし、でも水野にとっては新鮮なはずだし。

有住 私、いきものがかりを1ミリも知らないから。

岡田 そうだよな。

有住 水野くんの歌声を初めて聴いたのが、さっき話したソロライブだったんです。

──そのとき初めて聴いた歌声は、どんな印象でしたか?
有住 「くどいなぁ、水野くん!」と(笑)。今回のレコーディングでも、「YOU」は小田さんのディレクションだったので抑えていましたけど、私がディレクションを担当した「I」はどうやって抑えようかというのがミッションのひとつでしたね。

岡田 軽く歌えばいいのに熱唱しちゃうんだよな。

有住 そうなんです、曲の頭から。

いきものがかりは聖恵ちゃんが歌いますよね。今回は、水野くんが自分の言葉を自分で歌うと。そうすると、歌詞の言葉の選び方がけっこう違うものだなという印象でした。「I」をいちばん最初に聴いたときは水野くんのピアノと歌だけのデモだったんですけど、「ああ、水野くんっぽい曲だな」と思いました。ただ、歌詞の部分で、少しフィクションが入っているような感じがしたんです。自分が本心で歌うものではなくて、何かフィルターを通しているというか。でも、すごくいい曲でした。大阪に向かっている途中、新幹線のなかで聴いたんですが、グッとくるものがありましたよ。「I」に行き着くまでは、7〜8回歌詞が変わっていて、水野くんのなかでいろいろ模索しながら完成させたんですよね。

──今回、初めて水野さんと制作するにあたって、特に意識したことはありましたか?
有住 水野くんのボーカルを録り終わってからセレクトして、水野くんに聴いてもらうんですけど、基本的にNGということはなかったですね。そこは任せてもらっていたというか。たぶん、水野くんも歌うということが客観視できない部分もあったと思うし。だから、それは人に任せた方が良さを引き出してもらえると考えたのかもしれないし。

岡田 もしかしたら、それが水野の不思議なところかもしれないんだけど、「ここは自分がやらない方がいい」というものが所々にあるんだよ。それは、チームとしてはつくりやすいよね。スタッフそれぞれが、自分の役割がどこにあるかというのが分かるから、そこに力を注げるんだよね。もちろん、役割ではないことをお互いに言うこともあるよ。でも「どの部分を誰が中心に動くのか」ということは、水野のなかで役割表をつくっている気配があるんだよね。

──有住さんは、これまでの岡田さんのやり方を参考にしたり、意識したりはしたんですか?
有住 いっさい、ないですね。これまでのやり方を参考にしたり、何か下調べをしてしまうと、特にHIROBAの場合はつまらなくなってしまうかなと思って。

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「I」は、水野くんが自分の声で届ける曲なので、「言葉を届けられるものに仕上げよう」ということを意識しました。水野くんにとっても「どう歌っていいか」「どう表現していいか」ということは明確ではなかったと思うので、うまく引き出せるようにしたつもりではいます。水野くんは器用で、何でもできちゃうので、「こうやって歌おうか」と言うと、その歌い方がすぐにできるんです。ただ、すごく柔軟だけど、それだけではダメだと思うんです。自分で届けるために、彼にとって何か譲れないポイントが見つかるといいなと思います。その譲れないポイントを持ちつつ、小田さんとのやりとりでもあったように、異なるアプローチや、水野くん自身が「違うな」と思うことを提示されたときに、どう向き合うかということも大事なことだと思いますね。

参照 STORY with KAZUMASA ODA 「シンプルに」という難問

岡田 正しいかどうかということではないんだけど、「本人から出てこないプランを提示してあげる」ということだよね。それは選択肢が増えることになるわけだから。それでも自分が言っていることが譲れないなら、それでいい。水野は、自己表現の場をいろいろ試しているわけだ。自分の歌というものに対する自分探しをしていると。そのときに彼自身から湧き上がってくるもの以外も提示することは、彼にとっては絶対に悪いことじゃないよね。それを「いやいや、要らないです」と振り払われたとしても、また、「どう?これ、どう?」って差し出して。

有住 そうそう、その繰り返し(笑)。

岡田 でも、あんまりはねのけられ続けると、「もう、いいわ」ってなるけどね(笑)。

有住 ボーカルをセレクトするときに、水野くんが1回だけしか歌わなかったものを意識して選んでいたんです。何回か歌っているものは、水野くんが自分でいいと思っているものだから、あえてそれとは違うものを提案しようと。結果、それが採用されているんですよね。

──岡田さんは「YOU」と「I」を聴いた印象は、いかがですか?
岡田 何度も聴いたわけではないけど…小田さんとのレコーディングドキュメンタリーの映像を見たんだよ。

注釈:「レコーディングドキュメンタリー映像」 2019年4月リリースの「YOU (with小田和正)【初回生産限定盤】」に特典DVDとして封入。

あれは、すごくよかった。何がよかったかというと、水野が真剣に取り組んでいることがよく分かった。小田さんに勝負を仕掛けているじゃん。基本的には逆らえない相手に対して、自分の望みをちゃんと伝えようとしているということと、最終的に小田さんを立ち上がらせたということ。小田さんの手のひらの上なのかもしれないけどね(笑)。小田さんも、どこで立ち上がろうかと思ってたくらいかもしれないけど。音源の仕上がりとか、歌がどうだかという以前に、自分のトライを全うしようとしていることが伝わってきて、離れたところから見ているお父さんとしては、グッときた。

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有住 確かに、それはすごく印象的だった。小田さんと水野くんの会話をずっと横で聞いていて。小田さんが立ち上がった瞬間に、水野くんと目を合わせて「よし!」と、お互い心のなかで拳を握りしめたような感じで。それで小田さんの歌声を聴いたら…「キター!」って。もう…圧巻でしたね。

岡田 「YOU」はものすごく抑えているよね、あれは小田さんのサジェスチョンだと思うけど。辛抱強く言えば、あれくらい抑えた歌い方ができるんだってことを知ったね(笑)。さっき、熱唱と言ったけど、人との会話でも大きい声で圧のある話し方だけをしていると、相手は受け取ってくれなかったりするでしょ。そのために、トーンを変えたり、優しい言い方をしたり、強い言い方をしたりすると。同じように、歌のなかでもその構成を変えていけると、違う聴こえ方になるよね。

──最後の質問です。おふたりが推測する「水野良樹の未来像」を教えてください。
岡田 いろんな自己表現のトライアルをしていって…やっぱり原点に戻るんじゃないかな。彼がブレていないことのひとつが、「曲をつくることが好き」ということだ。音楽によって人生を変えられた人間なわけだよ、水野良樹は。だから「自分の音楽によって、人の人生を変えたい」と思っている。そのために、今、何をすべきかを探しているのかもしれないね。最終的にどうなるかというと、やっぱり曲をつくるということに戻ってくる、それはいきものがかりの曲なのか、他の歌手の曲なのかは分からないけど。その“自分の在り方”というものが今はないんだけど、その在り方がある人になる。難しいんだけど。そして、アーティストの側面よりも作家の側面の方が強くなるかもしれないね。いきものがかりでも、もちろん作品をつくる人なんだけど、お客さんから見れば、どこか「よっちゃん」って感じがあるわけじゃない。それは、アーティストとしての佇まいもあって、3人でひとつということだから当然で。いきものがかりをやっている以上は、そういう側面を持ち続けるんだけど、彼の内面は、どんどん作家性が強くなっていくんじゃないかなという気がするね。その水野良樹っぽさみたいなものを、いろんな手段で、今つくっているんだと思う。彼に、そういう意識があるかどうかは分からないよ。無意識かもしれないし。水野良樹像というものがどうあるべきかというのを探しているんじゃないかな。

自分のやり方というものに限界を感じると曲が書けなくなるんだけど、今は自分のやり方に制限を設けず、「ここに限界があるなら、これをやってみる」というように、違う曲の書き方を試したり、文章を書いてみたりしていると。そうして、さまざまなことをやってみると「限界はないんだな」って思い始めるわけだ。曲の書き方にしても「これが正解かもしれない、あれが正解かもしれない」と、いろんな歌い手の曲をつくりながら、結局は自分を探しているんだよ。題材は他人なんだけど。

小田さんとやってみて「ああ、これかもしれないな!」と見つけた気になっているかもしれないけど…それでもまだない。作家性が強くなるというのは、それが分かるときなんだ。だから、俺は、「今、彼は探しているんだな」って思いながら見ている。俺は今、水野を“放牧”しているんだよ。

有住 水野くんはストイックだから、結局自分で経験しないと納得しないんだよね。

岡田 もうひとつ、すごく簡単に言うと、考えすぎなんだよ。もうちょっと適当にやる部分があると楽になるんだけど、責任感が強い分、全部を塗りつぶしていかないと気が済まないんだよね。

有住 人とつながるということを、水野くんが今まで、やらなかったのか、できなかったのか、それは分からないけど、やっと小田さんとやったことで体現できたんじゃないかな。音楽を通してつながるということが経験できて、すごくよかったなと思う。

メディアを通してのいきものがかりのイメージで、水野くんって聖恵ちゃんみたいに社交的で、誰にでも飛び込んで行ける人だと思ってたんだけど…真逆でした(笑)。そこは慎重というか。

岡田 水野は用心深いよね。山下ですよ、それができるのは。誰とでも仲良くなっちゃうんだから。「つながることをしたい」ということは、「つながるということが足りない」ということだよね。山下穂尊は「つながる」というテーマでは活動しないですよ(笑)。

有住 つながりたいと水野くんが言っているわけだから、その手助けをすることが私の役割です。これから、いろんな「つながり」を提示していきたいと思います。

(おわり)

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岡田宣(おかだ・ひろむ)
EPICレコードジャパン
チーフ・ゼネラルマネージャー。
初期から、いきものがかりの担当チーフディレクターを務め、大半の楽曲の制作に携わってきた。メンバーが最も信頼を置くスタッフのひとり。
有住朋子(ありずみ・ともこ)
EPICレコードジャパン
制作部 ディレクター。
これまでに数多くのアーティストを担当し、HIROBAの立ち上げにあたり、ディレクターとして制作を統括。

Photo/Kayoko Yamamoto
Text/Go Tatsuwa

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