トライアスロンと私

トライアスロンとの出会いはいつだったか。2010年か11年頃ドイツのデュッセルドルフに住んでいるときにライン川の畔を走りたいと思い、ロードバイクを買った。そのときに自転車屋さんでトライアスロンもできる自転車が欲しいと伝えたことはよく覚えている。ただ、なんでそのときに、トライアスロン用の自転車を買ったのかは、正直よく覚えていない。そのときは、自転車は買ったものの車道を走るのが怖くてあまり乗らなかった。

その代わり、近所にあった公園Zoo Parkでよく走っていた。そしてマラソンに出てみようと思い。フランクフルトマラソンでマラソンデビューをした。時間は確か4時間30分程度でデビューにしてはよく走れたと思う(実は今でもその記録がベストタイム、、)

その後、トライアスロンとは無縁のまま、日本に帰ってきてしばらくしたころ、本屋でブラブラしているときにルミナの表紙をみてこれだ!と思った。

「トライアスロンで世界を旅する」

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学生時代にはバックパッカーのようなこともやっていた。でも、何か目的をもってその場所へ行き、そして、そのついでにその場所を楽しむということは素敵なことだなと思った。昔からなんとなく、やりたいと思っていたけど、より明確になったのはこの雑誌の表紙との出会いだった。

そんなこんなで、どうやって始めようか?を考えている内に丸の内朝大学のトライアスロン講座を知り、申し込んだ。白戸太郎さんが講師をやっていて今思えばとても贅沢な講座だった。講座は一通り受けて、お台場のデュアスロンにも出た。

ただ、そのあと、本格的に始めるに至らず、大学院に通い始めたため、しばらく、トライアスロンとは無縁の日々が続いた。

そして、大学院の勉強が終わって、しばらくしたときに、アスロニアのホノチャレ(初心者がホノルルトライアスロンを目指してトレーニングするプログラム)を知って申し込んだ。このころにはかなり太っていてメタボ状態だったけど、始めることには躊躇しなかった。結果的にはホノルルデビューはできなかったけれど、本格的に始めるまでの助走になった。その後、18年に館山トライアスロンでデビュー(しかしながら、周回間違いで失格)、九十九里でショートを初完走、19年はミドルのセントレア、佐渡Bを完走することができた。20年度はいよいよロングにチャレンジしようと、宮古島と佐渡Aに申し込み、抽選に受かったものの、コロナで中止・・。今は、在宅勤務が続いているので、ひたすら、夕方にZWIFTにつないで自転車のペダルを漕ぐ毎日。

いろいろ紆余曲折はあったが、振り返ってみると、小中高のときは水泳をやっていて、学生時代はバックパッカーとして世界をフラフラして、就職後、ドイツ赴任中に自転車を買い、マラソンにもチャレンジした。そして、その後、「トライアスロンで世界を旅する」というスローガンと出会った。過去と現在はつながっている。そう感じる。

自分は決して運動神経が良いとは思えない(むしろ悪い)し、体重は常に標準体重以上だが、トライアスロンの大会を一つのアウトプットとして、日々自分にできる範囲でトレーニングをするというライフスタイルが気に入っている。

これからは、宮古島や佐渡でロングの大会に出て、そのあとは世界の大会にもチャレンジしたい。無理をせず、自分のペースで日本や世界をトライアスロンで旅しながら、稲田弘さんみたいなおじいさんになってもロングをやっているというのが理想だな。


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