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イット・バイツの想い出①

アラン・ホワイトさんの想い出記事を書いていたらすっかりプログレ熱が戻ってきてしまっている。先日地方で行われたフェスの手伝いをしに久しぶりに車を借りて長距離ドライブの時にSpotify(今の車はUSBで繋げばスマホを再生出来るんですね!知らなかった。)でイット・バイツのヴァージン時代の全曲集アルバムを行き帰りに聞いてまた個人的な音楽体験を思い出してしまったのでそれについて書いてみたい。

さすがnoteと言えどもイット・バイツ(It Bites)に書かれた記事は少ない。ざっと見たところライターの山崎智之氏が書かれているイット・バイツの中心人物だったフランシス・ダナリーの27年ぶりの来日公演(2016年)のレポートぐらいだろうか。

(それにしてもフランシス来日していたのね、この時期は地方で仕事することも多かったから気が付かんかった。)

イット・バイツは“プログレッシヴ・ロック冬の時代”といわれた1980年代にイギリスで活動していた4人組のロック・バンドだ。グループの詳細はWikiとかに詳しく書いているので見ていただくとしてとにかく若い男子でみんなルックスもよく演奏も上手くて曲が良いという非の打ち所の無いバンドだったのに何故か売れなかった悲劇のバンド的なグループだ。

いや弱点はあった、曲がプログレだった。

80年代後半、MTVブームから英国ニューウェイヴも一段落、ロックは髪の毛を立てたに西海岸のヘヴィメタルが人気を博し、エレクトリックポップから発展したダンス・ポップ、そしてラップも含めたブラックミュージックが台頭してきた時代だったと思う。エイジアやイエス、フィル・コリンズの大活躍によるジェネシス・ファミリーのヒットなど、一部のプログレ大物たちの活躍もあったが如何せん新しいアーティストが生まれていなかった状況であった中、イット・バイツは忽然と登場した印象がある。

個人的な話になるが80年代中盤、大学もなんとか卒業し無事就職も出来たものの、自分は一体どんな仕事が向いているのだろうと悩みながら就活して最初の就職先は若干不本意な気持ちがあったままスタートしたのが自分の社会人生活だった。今思えば、最初の数年間は仕事に必死なあまり当時の音楽にふれることも無かったと思う。そんな時に見たのが確か音楽雑誌の掲載されたイット・バイツのキーボード奏者、ジョン・ベックのインタビュー記事だった。1988年に2ndアルバム「ワンス・アラウンド・ザ・ワールド」がリリースされたころだったと思う。モノクロ2ページぐらいの扱いでジョン・ベックの顔のアップ写真だけ。ちょうどその頃はまだハワード・ジョーンズとかスクリッティ・ポリッティとかイケメンのニューウェイヴ系エレクトロポップに人気があった頃だったから、イケメンな写真から察するにそれ系のアーティストだと思っていたら文章中にスティーブ・ヒレッジとかジェネシスとかの名前が出てくる。これはなんだと思って輸入盤の「ワンス・アラウンド・ザ・ワールド」を買ってみた。聴いてみると「ミッドナイト」「キッス・ライク・ジューダス」「イエロー・クリスチャン」の冒頭の3曲でやられてしまった。しかもスティーブ・ヒレッジのプロデュース、これは間違いないと確信した。当時でていた輸入盤「ワンス・アラウンド・ザ・ワールド」は「オールドマン・アンド・エンジェル」が短縮バージョンだったり大作「ワンス・アラウンド・ザ・ワールド」も収録されていなくてすごく中途半端な盤だった(だから安かった気がする)。すぐ返品して国内版の邦題『限りなき挑戦』を購入した記憶がある。確かまだ明治通り沿いの目白側の離れた場所にあったまだ洋楽輸入盤全盛期のタワーレコード池袋店だったと思う。

2ndアルバム『ワンス・アラウンド・ザ・ワールド』(邦題『限りなき挑戦』)のライナー解説はあの伊藤政則先生が担当しており、「大英帝国ブリティッシュ・ロックの復権」とかなりイット・バイツに期待を寄せていたことが分かる。先に上げた冒頭の3曲に加えて、やっとフルサイズ版が聴けた9分を超える「オールドマン・アンド・エンジェル」はUK以降のモダンなプログレッシヴ・ロックとそれでいてポップでメロディアスなロックの両方を兼ね備えた素晴らしさ、そしてラストを飾る15分超えのタイトルナンバーの大作「ワンス・アラウンド・ザ・ワールド」のドラマティックな大団円に圧倒された。すぐさま1stアルバムの『ザ・ビッグ・ラド・イン・ザ・ウィンドミル』、そしてしばらくしてからリリースされた3rdアルバム『イート・ミー・イン・セント・ルイス』を続けて買いまくった。一つのアーティストに夢中になるなんて何年ぶりだったろうか。

どのアルバムもキャッチーなメロディとコーラス、当時の最新のデジタルシンセを駆使した華やかなジョン・ベックのキーボード、フュージョンや16ビートを昇華させたモダンなロック・ビートと変拍子を駆使するリズムセクション、アルバムを買って分かったことだが彼らは全員1962年生まれの自分と同い年、好きなアーティストとして上げているのもイエス、ジェネシス、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープ、ホワイト・スネイク、エイジアなどほぼ同じだった。そしてまるでアラン・ホールズワースのようなトーンでツルツルと華麗に舞う速弾きギターとそしてこれまたピーター・ガブリエルのような少しクセのあるハスキーなヴォーカル、この両方を一人でやっているのがフランシス・ダナリーというフロントマンだった。

イキっていた自分の高校生時代を思い起こすと当時の自分のフェイバリットギタリストはまだ知る人ぞ知る存在だったアラン・ホールズワースであり、なんとか彼のように弾けないものか、一生懸命練習していたことを思い出し、同じバック・グラウンドを感じるこのフランシス・ダナリーというギタリスト/シンガーに非常に親近感を感じたものだった。最近のフランシスのインタビュー記事を読むと10代の頃に影響を受けたものがイギリスのジャズ・ロック・バンド、アイソトープとか、コロシアムⅡやマハビシュヌ、アル・ディメオラがいた頃のRTFなどあまりにもあの頃の自分と同じ過ぎていてもうこれは運命なんだと思ってしまう(笑)。

そしてイット・バイツのメンバーはルックス良しだった。メイクをすると中性的なキーボード奏者、ジョン・ベックはまるで少女漫画に出てくるような雰囲気だし、フランシスと同じブロンド・ロン毛のベーシスト、ディック・ノーランはフランシスにも負けない男前。ディックの方が少し馬ヅラ気味かな。ちょっといかついドラムのロバート・ダルトンはドラマーだからいかつくてもアリみたいな感じ。フランシスは『ワンス・アラウンド・ザ・ワールド』のカバージャケ写ではロン毛を後ろにまとめてサングラスかけた横顔で写っていて、『ザ・ビッグ・ラド・イン・ザ・ウィンドミル』のブックレットのインナー写真はリーゼント頭でやはり横顔で写っていてイケメンなのに正面から写さない辺りは少し斜に構えたところがあったのかも知れない。『イート・ミー・イン・セント・ルイス』のブックレットのインナー写真でようやく正面を向いた写真が掲載されていて、長いブロンドヘアに愛くるしいタレ目気味の笑顔でまるでわんこのようだ。可愛い顔をしているなと男の自分でも思ったほどだ。今思えばアイドルで言うところのメンバー・キャラ設定もバッチリな4人編成で、当時の自分はチェックしていなかったが、僅かに残っていた女子向け洋楽系の音楽雑誌のグラビアでも騒がれそうなグループ、ちょうど日本の女の子たちが最初に飛びついたと言うクイーンジャパン的な要素も充分に持っていたのが80年代後半に於けるイット・バイツだったと言って良いだろう。(そう言えば1st『ザ・ビッグ・ラド~』時の写真にフランシスが持っているブラックボディにローズウッド指板のストラトキャスターが自分は高校生の時に使っていたストラトキャスターと同じカラーリングだったこともフランシスに親近感をもったことをこのテキストを書きながら思い出した。GoogleでIt Bitesを検索すると最初に出てくる写真もこれだ)。

という訳でイット・バイツに出会ったことで再び音楽に意識を向き始めた自分はこの頃一つの結論に至った=「自分の好きなことを仕事にしよう」と。
この頃から転職活動を始める様になり、1年ほど転職活動を行った結果、当時日本法人を設立したばかりのヴァージン・ジャパンに入社することになる。イット・バイツの日本版アルバムをリリースしていたプログレッシヴ・ロックの名門レーベルだ。(続く)

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!