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天才、馬渡松子さんの想い出(その1)

Adoさんの海外デビューが話題となっていますが、8月のさいたまスーパーアリーナでのライブを見たときから、いや、ぶっちゃけ「うっせぇわ」がリリースされたときからずっと思っていることがあります。それはかつて自分が一緒に仕事をしていた女性アーティスト、馬渡松子(まわたりまつこ)さんと歌声がそっくりなのです。Adoさんのファンクラブ、【Adoのドキドキ秘密基地】でのAdoさんのしゃべり声を聞いてさらに似ていると思いました。ダイナミックなヴォーカルに反してしゃべり声はわりとボソボソと、しかし真摯に真面目に話すところもとてもよく似ていました。馬渡さんのデビュー時と4thアルバムのプロモーションを一緒にやったため馬渡さんのしゃべり声も未だに憶えています。このことを思っているのは自分だけかなと思っていたらSNS検索すると、同じようなことを感じている人がけっこういました。noteで馬渡さんについて書いている記事があまりないこと、そして馬渡さんの代表曲である「微笑みの爆弾」がリリースされたのがちょうど30年前の1992年11月6日、アニメ放送30周年ということで馬渡松子さんの想い出を書いてみたいと思います。

Adoさんのライブを見て感銘した記事はコチラ。

馬渡さんは宮崎県都城市の出身、3歳でピアノ、中学校でフルートを始め、大学に進学するために上京したはずです。この辺りはwikipediaを参考にしていますが当時、永井真理子やDREAMS COME TRUEが所属しもっとも勢いのあったアーティストマネジメント会社であったMSアーティストにデモテープを応募して採用され、修行期間としてDREAMS COME TRUEのツアーにコーラス&キーボード担当として帯同したとのことです。当時のDREAMS COME TRUEは本当に勢いがありました。1990年にリリースされた3rdアルバム「WONDER 3」が初のミリオンセラーとなり、当時のデビューから最短記録でのアルバムミリオンセラー達成、そして初の紅白歌合戦に出場。翼年の1991年6月には国立代々木競技場で「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 1991」を開催しました。当時のツアーメンバーがティナ馬渡こと馬渡松子さんだったわけです。ドリカムの看板であった吉田美和さんの強力なヴォーカルを見事に支えるコーラスメンバーは歴代強力な女性シンガーが務めることになりましたが馬渡松子さんはその初代担当を見事に務めていたことになります。自分も契約前の馬渡さんを見にこのライブに行かせていただきましたがドリカムの圧倒的な代々木競技場のステージのスケールとそれに負けない馬渡さんの存在感にとても驚かされた記憶があります。

そんなノリに乗っているDREAMS COME TRUEの秘蔵っ子、しかも中村正人さんが初めて単独でアーティストをプロデュースという看板を引っさげて馬渡松子さんは1992年5月に先行シングル「君は今心臓破り」、そして6月に1stアルバム「逢いたし学なりがたし」でデビューします。馬渡さんはヴァージン・ジャパン/メディアレモラスで4枚のアルバムをリリースしておりますがどうしても「幽☆遊☆白書」の関連曲に注目が集まってしまい馬渡松子さん自身の音楽性にフォーカスされた記事が少ないため、この記事では自分の覚えている限りの当時の記憶を振り絞って掘ってみたいと思います。正しいリリース資料などが残っていないため思い違いなどもあるかも知れませんがご容赦いただけますと幸いです。

馬渡松子さんの個人的押し曲プレイリスト

まず驚異のデビュー・アルバムからタイトルナンバー「逢いたし学なりがたし」。馬渡さんはその後のアルバムすべてそうですが全曲の作曲と編曲〜いわゆる打ち込みをすべて自分一人でやっています。1992年当時で女性のシンガーソングライターですべて打ち込みによる編曲を行っていたのは恐らく馬渡松子さんだけだったと思います。今となってはDTM環境も発達し自身でトラックのすべてプロデュースできるシンガーソングライターは一般的となっていますが、30年前の90年代初頭に当時24歳の馬渡さんが一人でやっていたのは本当に驚異的です。ドリカムの中村正人さんがプロデュースということと当時の打ち込みを主体としたダンサブルなドリカム・サウンドにも非常に近かったことから、中村正人さんがプログラムなどかなり助けていたんだだろうと推測する声もありましたが、実際にほとんどすべて馬渡さん自身がプログラミングし中村さんは最後に監修的なチェックやミックスの確認を行っただけだそうです。当時はMacではなくMIDIを標準装備したATARIのコンピューターを使っていますと馬渡さんが話していたのが印象的でした。また当時、中村正人さんがやっていたTOKYO FMの深夜番組「中村正人のNORU SORU」にゲスト出演した時、この「逢いたし学なりがたし」のサビ、”逢・い・た・し・学・な・り・が・た・しっ♪”を全て8分音符でぶつけてきた時、コイツは本当の天才だと思ったという中村正人さんの言葉が今でもとても記憶に残っています。この8分全音符サビの手法は「微笑みの爆弾」の「ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・ます!」でも使われている馬渡松子サウンドの特徴かと思います。

続く「フォーチュンテラー」は馬渡さんの初期作品に特徴的なAORポップス的なナンバー、非常に美メロなシャッフルナンバーですが90年代を通じて共同制作者となる作詞家のリー・シャウロン氏の作詞も印象的です。1stアルバムは学生生活などをテーマにした楽曲が多く、ドリカムの後継者的なオーソドックスなポップナンバーの印象がありますが、アルバムをリリースするごとに馬渡さんの際立った存在を表現していく独特なリリックに変化していきます。それにしても広い音域をダイナミックに歌いまくる馬渡さんのヴォーカルもすでに驚異的です。

アルバムラストの収められた「ホームワークが終わらない」は個人的にアルバムの中で一番印象に残ったナンバーでサビのシンフォニカルなポリシンセのバッキングのかっこよさに痺れました。アルバムのエンディングに相応しい開放感と未来の希望を併せ持ったメロディを見事に支えていると思いました。コードのヴォイシングにBRUFORDのデイブ・スチュワートやWETHER REPORTのジョー・ザヴィヌル御大の影響を感じたので、そのことを馬渡さん本人に尋ねたことがありましたが、彼女からは「あのコード進行はジノ・ヴァネリからインスピレーションを受けたものです」と教えてもらいました。なるほど!ジノ・ヴァネリの様々なジャンルの音楽をミックスした予想つかない展開は馬渡さんの音楽と共通するものがあります。そしてこの曲はこの後に始まる新アニメ「幽☆遊☆白書」のエンディングとして選ばれることになります。既存の曲をリカットしてアニメのエンディングに使うというのは通常ではとても異例のことなのでアニメのプロデューサー陣もこの曲の魅力と馬渡さんの才能に惚れ込んだことは想像に固くありません。

そして最大の人気曲となった「微笑みの爆弾」ですが、ちょうどこの頃、自分も社内の異動があり制作ディレクターとして他のアーティストを担当することになり、馬渡さんのプロモーションから離れることになるのですがこの曲を最初に聴いた時の衝撃を今でも忘れられません。かっこいいギターのカッティングリフ、ブラスやストリングス、オーケストラヒット、ティンパニと様々な楽器と相まって馬渡さんの歌が冴え渡ります。そして印象的で大きなサビのメロディ、最初はどこにサビがあるのかわからなくなるほどこの曲の構成は異様でした!それだけ当時のアニメソングの常識からかけ離れた曲だったと思います。この曲は当時、彼女がフェイバリットアーティストとしてあげているプリンスからのインフルエンスを大胆に打ちだしたものだと思います。さらに放送が始まりオープニングの動画と一緒になることでさらに躍動感がまして、これはすごいオープニング曲になると確信したものでした。30年後にデジタル配信の仕事に携わることになり世界中に「微笑みの爆弾」のファン動画やカバー動画が多数上げられていることを改めて確認し、数多くの世界中のファンが「ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・ます!」を楽しそうに歌っているのを見ると正に革命的な曲だったんだなあと感じます。ツイッターでオープニング動画を上げている方がいたので引用させていただきます。

少し長くなったので続きはまた後日に!

【追加】
今、海外に語学の勉強に来ているのですが一緒に勉強している人が子供の頃、馬渡さんの新星堂柏店でのインストアイベントに参加したことがあります!と教えてくれてほっこりしました。

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!