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フィッシュマンズ「若いながらも歴史あり」

フィッシュマンズ「若いながらも歴史あり」全曲がストリーミング解禁された。フィッシュマンズ全史において1996年のライブは特別なものがある。

メディアレモラスで最後のリリースとなった「Oh!Mountain」ツアーが地方の公演が多く宣伝担当の立場では出張も許される訳もなくほとんど見ることが出来なかった。個人的にも移籍のショックは大きく結局1995年のフィッシュマンズは見ることがなく再びフィッシュマンズのライブを体験することが出来たのはそれから2年近く経過した1996年12月の「LONG SEASON '96-'97」ツアーの心斎橋クアトロライブであった。

「映画フィッシュマンズ」公開記念で寄せられた欣ちゃんや譲君のインタビュー記事やラジオ、Podcastなどでの発言で1996年のライブはいかに特別であったかがよく語られている。もちろん2月には「空中キャンプ」を、10月には「LONG SEASON」をリリースしたフィッシュマンズにとっての最重要な年であることは間違いないのだが、 あの柏原譲や茂木欣一をして96年の演奏はもう2度と出来ないかも?とまで言わせた1996年はフィッシュマンズのの演奏面における化学変化が一番大きかった年なのではないだろうか。その最初の公式記録が3月の「若いながらも歴史あり」であり締めくくりが12月の「LONG SEASON '96-'97」で、途中ナチュラル・ハイとか伝説のデ・ラ・ソウル前座とかがあった年である。自分はというと異動で大阪支社への着任したり異動先でレーベルが解散したりで色々あって96年フィッシュマンズの化学変化の経過をほとんど見れなかったのは本当に悔やまれる。

「若いながらも歴史あり」は個人的には後期フィッシュマンズの影の功労者だと思っているギターのダーツ関口氏の参加が印象的だ。同世代のメンバーで構成されていたフィッシュマンズ初の年長メンバーであり佐藤君も尊敬していたSUPER BADのオリジナルギタリストであり佐藤君からも「Oh!Slime」で「立派な大人です!」と紹介されるダーツ氏。ソリッドなカッティングワークと多彩なリフのアイディアとトーン、そして力強いリードラインはフィッシュマンズにとって理想的なギタリストであったと個人的に思うと同時に「若いながらも歴史あり」は関口氏のけっこうな弾きまくり速弾きソロなど後のフィシュマンスではあまり見れなくなる光景もたくさんあって微笑ましい。それにしてもフィッシュマンズ全史において最高のハッピーオーラに包まれたこの「若いながらも歴史あり」、ライブ映像からのカット画像やキャプチャーが「映画フィッシュマンズ」の数多くのキーヴィジュアルに使われていたことも象徴的な出来事だ。

そしてこの化学変化な年、96年でフィッシュマンズのリズムセクションが決定的に変化したと個人的に感じた事件があり改めて「若いながらも歴史あり」を聴くとその変化の前兆が記録されている。そのことについてはまた後日に書いてみたい。


最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!