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サー・ジョージ・マーティンと明石海峡大橋と私

前回は「ゲット・バック」を見て非常に個人的なビートルズ体験について書いたが思いのほか好評で有り難い。多くの方と同様に映画「レット・イット・ビー」も過去に一度レンタルビデオで借りてなんとも暗い話だなビートルズも解散直前はこんな感じだったんだなというあまり良くない印象だったのだが「ゲット・バック」で描かれているセッションの様子は紆余曲折ありながらもクリエイティブで前向きなものだった。昨年の「映画 フィッシュマンズ」でフィッシュマンズのデビュー直前のライブ映像やスタジオレコーディングの様子を実際に自分が撮影した映像がフッテージとして使われていたので「ゲット・バック・セッション」の様子もとても生々しく感じられる。メンバーの丁々発止はもちろんのこと、ローディのマル・エヴァンスやエンジニアプロデューサーのグリン・ジョンズなどの働きや発言とかも自分が知っているスタジオでの振舞いと同じで「ビートルズも一緒だったんだな」ととても納得する。

そしてこれまでの通説では「レット・イット・ビー」の制作にはジョージ・マーティンは関わっていないとなっていた(ビートルズ・アンソロジーもちゃんと見ていないのでこの通説が間違っていたらすみません)。ですがジョージ・マーティンがかなり絡んできます。特にパート2以降、アップルスタジオに移動してからは、エンジニアのグリン・ジョンズに実際のレコーディングやビートルズメンバーとのやり取りは任せながらも機材や楽器、スケジュール管理など細かなところに気を使い的確な指示を出していたようでビートルズのA&Rマンとして活躍する姿がかなり見受けられる。長身でジョージ・ハリスンが「I ME MINE」を披露するときに「君たちはロックンロール・バンドなんだぞ」とよく響く少し鼻にかかったような高い声で呼びかけるジョージ・マーティン。独特な彼の声の響きは1998年に彼がソロアルバム「イン・マイ・ライフ」をリリースしたときに唯一来日し関西でプロモーションキャンペーンを一緒に行ったことを思い出した。

ジョージ・マーティンのソロ・アルバム「イン・マイ・ライフ」は1998年にリリースされた。ビートルズのプロデューサーとしてそれまでもビートルズ曲のクラシックカバーみたいなアルバムをリリースしていたが「イン・マイ・ライフ」はその集大成的な作品でジェフ・ベック、セリーヌ・ディオン、ヴァネッサ・メイ、フィル・コリンズらアーティストとロビン・ウィリアムズ、ゴールディ・ホーン、ジム・キャリーといった俳優陣も参加した豪華なアルバムとなった。


残念ながらこのアルバムはストリーミングは解禁していないようだ。Youtubeにフィル・コリンズの「ゴールデン・スランバー」があったので紹介しておこう。


Phil Collins - Golden Slumbers, Carry That Weight, The End (1998)

コンソールの前に座っているのが98年当時のサー・ジョージ・マーティンだ。あとこのアルバムでジェフ・ベックが演奏した「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」はベック自身も気に入ったようで「ロニースコッツ」でのライブアルバムでグラミー賞を取ったりして自身のライブでずっと演奏され続けていたりもする。機会があれば聴いてほしい。

そんなわけでサー・ジョージ・マーティンを関西で迎えることになったのだが、小柄な奥様と一緒に来日されていて確か神戸から関西に入ったはずだ。本社からアテンドとしてキング・クリムゾンの担当A&Rとしても有名なM尾さんが一緒に来てくれた。初日の夜は神戸のFM局に出演してその後、宿泊先の新神戸オリエンタルホテル(現在のANAクラウンプラザホテル神戸)で夕食を一緒に取ったのだがその時に奥様が「橋が好きなので明石海峡大橋が見てみたい。ここから見れるかしら?」とおっしゃっていて、私は適当に「お部屋は高層階だから見れるんじゃないでしょうか」などと答えてしまった。明石海峡大橋は神戸をさらに西に行って垂水を超えたところにあるので新神戸からはかなり距離もあり全く見えるはず無いのだが翌朝奥様から「全然見えなかったわ」と言われて悪いことを言ってしまったと思った。愛妻家なサー・ジョージ・マーティンは奥様を慰めていた。ヘッダーの写真は20年後に2度めの関西赴任した時にその時のことを思い出して独りで明石海峡大橋のふもとまで行ったときのものだ。

サー・ジョージ・マーティンは非常に紳士だった。ラジオ局中心のプロモーションだったがやはりビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンが来るということで普段会えないような各ステーションの偉い方が挨拶に来てその都度、サーは写真やサインを快く対応してくれた覚えがある。その紳士的な振舞いが「ゲット・バック」でも映るジョージ・マーティンそのものだったことを思い出す。来日した時は72歳とそれなりに高齢だったと思うが非常に颯爽としていた。かっこいいお爺ちゃんだったな。後にビートルズのアーカイブ音源の発掘で活躍する息子さんのジャイルズのことをインタビューでもよく答えていた。ただインタビューや生出演の以外の時間はあまり負担をかけてはいけないと思い奥様と二人きりにしていたと思う。FM大阪のスタッフは英国紳士だから紅茶だよねとポット入りの紅茶を用意してくれて有り難かった。


その日の全てのスケジュールを終えて夕食は大阪出身のM尾さんのおすすめの福島のステーキ屋に行った。JR福島駅近くの古い木の壁のレストランだったがとても美味しいステーキだった。サー・ジョージも奥様も「この店のステーキは人生で一番美味しいステーキの一つだよ!」と絶賛していたほどで、とても印象に残っているのだがやはり20年後の2度めの赴任時、福島駅のすぐ近くに住んでいたので何度も近所を探したがその店は無くなってしまったらしく見つけることは出来なかった。

翌日は確か午前中に新聞の取材を受けて東京に帰るスケジュールだったがM尾氏が気を利かせてマーティン夫妻を明石海峡大橋まで車で連れて行ってあげたらしい。最後の取材の後に自分は別れて業務に戻ったがそのことを後からM尾氏に聞いて奥様の希望は叶ったようで少しだけ安心した。

「ゲット・バック」の後半に若き日のアラン・パーソンズもちょびっと映る。当時のアラン・パーソンズはテープ・オペレーター扱いだからまだ格下扱い。後にアラン・パーソンズも関西にキャンペーンに来た時、別のレーベルの仕事だったけど頼まれていくつかのブッキングを手伝った。ちょっととっつきにくい感じの人だったけど若い頃はイケメンだったんだね。四人囃子の頃の佐久間正英さんに似てるし。クリス・トーマスも映っているし後のブリティッシュ・ロックの伝説的なプロデューサー/エンジニアたちががビートルズのレコーディング現場には集まっていたんだなと思う。とりとめのない話ばかりで恐縮だが「ゲット・バック」の生々しい映像を見ての思い出を書いてみた。

最後まで読んでいただいたありがとうございました。個人的な昔話ばかりで恐縮ですが楽しんでいただけたら幸いです。記事を気に入っていただけたら「スキ」を押していただけるととても励みになります!