見出し画像

最終学歴

千葉県立千葉高等学校卒業。高校時代はワンダーフォーゲル部に所属。

公立の中学校で生徒会長など務め多少天狗になっていた私は当時県内では有数の進学校として有名な学校へ進みます。当然すぐに落ちこぼれ。今の言葉で言うとクラスカーストの最下位に所属することになりました。運動も苦手だったので友達もなかなかできませんでした。「このままではまずい!」何か部活をしないと!そこで幼い記憶を手繰り寄せました。

私が小学校の低学年の頃、母方の祖母が京王線の中河原に住んでいて、夏休み、冬休み、春休みになると妹と泊まりに行きました。妹がまだ一人では無理だった頃には一緒に泊まりに行くことも多かったと思います。今考えれば母もたまには一人の女性としてあるいは妻として息抜きをしたかったのでしょう。

すると祖母は私を連れ出して京王線沿線の神社仏閣巡りをするのです。記憶も曖昧ですが、確か小学校の低学年頃には府中、高幡不動、百草園など巡ったような、どれがどれかという確かな記憶はないのですが、起伏のある山道は小学校の低学年には結構きついものでした。でも優しい祖母に「ひろしが一緒だとおばあちゃんは元気が出るんだよ。嬉しくてたくさん歩けるようになるんだよ」なんて言われてしまうと何だか疲れが何処かへ消えてしまうような気がして ... でも本当の目的は一休みの時売店で祖母がご馳走してくれる夏のかき氷や冬の甘酒だったりもします。

漠然とですが、何で高校の時、ワンゲルだったのかって考えると、多分ここら辺がルーツなんだと思います。

大学は早稲田大学建築学科中退… ほんと人生のほとんどを引きこもりで過ごしているダメ人間なんです。

社会人になってから一念発起し、 池袋のすいどーばたに通い、デッサンを勉強しました。でもあんま出来のいい生徒ではなかったかも。

千葉県船橋市や東京の神田の「某企業にて、サラリーマン経験」


上司の人がアップルのマックを教えてくれて…そんでさらに、デジタルやりたいって、ねじ込んで、ようやく仲間に入れてもらって、紹介されたのが多摩美術大学の夜間。やがて、八王子の情報デザインコースの全身に当たる須長剛さんの講義を聞けた。でも当時はかなり、ダメで危険なやつだったと思う。2回目の大学中退しまたした。

サポートして頂けたら ❶助かります! ❷うれしいです! ❸よく考えてより大きな仕事ができるようにするため大事に使います。