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濡れた月

 明け方、軽い尿意で目が覚めた。夏なので、午前4時だとすでに夜明けが近い。きょうも晴れて暑くなる天気予報どおりの空だった。もう一度、寝るのが惜しい朝である。

 西の空に、にじんではいたが、昨夜の満月を見つけた。やがて、丹沢山塊の向こうへ落ちていくのだろう。しっとりして見えるのは、いかにも夏の月らしい。さえ渡った冬の寒月とはまた別の趣きがある。むしろ、夏らしく狂おしげであり、しばし見とれている。

 ずっと太陽暦を使って生きてきた。しかし、いうまでもなく、この国では長い間、月を基準とする陰暦を使っていた。太陽暦を正式に採用したのは明治の御代となってからである。列強の国々とつきあっていくには、太陽暦にせざるをえなかった。たしかに、こちらのほうが暦は合理的である。

 しかし、日本という風土には陰暦が捨てがたい。とくに農耕民族は月の支配から逃れられないからだ。農事だけではあるまい。海に生きる民にとって、月は日常的にさらに密接だったのではないだろうか。海の潮の満ち引きさえ、月からの力を受けている。

 海を相手に生きてきた祖父など、人間は、誕生も、そして、死をも月に支配されてきたとかたく信じていた。そうなのかもしれない。地球というこの星の引力を変えるほどのパワーを持っている月である。人間になんの影響もおよぼさないとはいいきれまい。

 月に寄り添い、月とともに生きてきたのは日本だけはない。たとえば、アメリカ合衆国の先住民たちも、かつては、毎月の満月に名前をつけて作物の収穫や狩猟の獲物たちを忘れないようにしていたという。

 きょう7月22日は陰暦だと6月17日だそうだ。中国からやってきた七夕伝説のおかげで、陰暦の7月は「文月」のほかに「愛逢月(めであいづき)」とも呼ぶという。陰暦ではまだ6月ながら、きょう、有明の空に浮かんだ濡れたような月もなかなか色っぽくてよかった。

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