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「対幻想」という幻想

 かつて、吉本隆明という詩人で評論家がいた。思想家といっても間違っていないだろう。ぼくの世代は、彼から多大の影響を受けているらしい。ふたつ年長だった、同じ小さな出版社へ同期で入社した男は吉本隆明からの影響の深さがはかり知れないと語っていた。

 吉本隆明の評論に『共同幻想論』がある。当時、これを読まない者、あるいは、心酔できなかった者はインテリゲンチアとはいえないとの暗黙の認識があった。ぼくもあわてて読んだ。それに3年先立つ1965年の『言語にとって美とはなにか』がまったく理解できないでいただけに期待はしなかった。

 そして、やはりぼくはインテリゲンチアではなかった。『共同幻想論』も、最初の「序」でもう読み続ける気を失っていたからである。「共同幻想」ということばに、最初から幻滅してしまったからでもあったろう。吉本隆明は、ぼくにとってほかの星からきた人のように感じたままである。

 あらためて『共同幻想論』を手にしたのは27歳のとき、2歳若い女性と恋に落ちたときだった。彼女からいわれたのは、「あなたとの対幻想がほしいのよ」と——。才媛だった彼女は、ぼくが「対幻想」を「追幻想」と勘違いしないように、わざわざ、「“ついげんそう”とは、一対二対の対よ」と、その度に解説した。わかっていたが、黙って聞いた。

 そんなふたりが夫婦となり、関係を継続していけるとは思えない。彼女にとって先々など、どうでもよかった。そのときの情熱と対幻想さえあれば、それがすべてだったのではないだろうか。煮え切らずにいるぼくにあきれた彼女は、死ぬの生きるとさんざん大騒ぎしていたにもかかわらず、笑顔で別れを切り出し、去っていった。

 ときどき思う。もし、彼女と連れ添っていたら、どんな夫婦になっていたのだろか、と——。きっと、吉本隆明さえ読めずにいる程度の男に彼女はいつまでもかかわってはいなかっただろう。

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