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【胃がんサバイバー日記】胃がん亜全摘術後、2ヶ月経って

早いもので

入院して手術が終わってから、もう2ヶ月になる。4月の頭はまだまだ寒かったが、今はもうほぼ夏。昨日は真夏日近い気温だった。

術後、10日前後と思われていた入院も、発症率2割くらいの合併症でお腹の中が膿んでしまい、結局3週間程だった、今となっては遠い過去のような気もする。

入院前、有給の都合などで上司と、復帰時期をやり取りしたが、結局は諸々の都合で、最速復帰予定日より早く復帰した。その後も基本休むことなく残業も行い仕事を続けられている。なんとなく話が伝わっている人が多いのであろう久々に会う人には「痩せたね」と言われる、びっくりする言葉を言われる事もあった。

一番心配していた食べられるのか?問題においては、心配していたのが嘘のように、食べられる。もちろん今まで通りとはいかないが、時間をかけて、よく噛んで食べれば食べられないものはない感じだ。(寿司などの生物は敢えて避けてはいる)量も最初は幼児程度から今では小学校中学年程だろうか、同じ時期に手術した方のSNSなどを見させてもらっているが、食事量や運動などは本当に個人差が大きい。

退院後一月の検診でアルコールやカフェインも、大丈夫と医師からの太鼓判ももらった。なんとなく記念日的な感じで解禁しようかと思ったが、その日まで元気にしていられる保証もないので、アルコール度数の低いものを少し野菜などを食べてから、とおっかなびっくりで飲み始めた。昔のように毎晩晩酌、というのは後遺症などあると辛いのでしないが、飲み方や酔い方は違うが、術後アルコールを受け付けなくなった方などもいるので楽しみがあってよかった。そして、摘出した胃やリンパ節の顕微鏡検査の結果、転移もなくステージ1aが確定した。とりあえずここから5年間の経過観察となった。晴れて、がん患者からがんサバイバーとなった。

このように書いていると

何の不都合もないように感じられるのかもしれないが、それなりに色々とある。まず、食事に時間がかかる。病院や家にいた時は時間にそこまで縛られることはないので、苦ではなかったが、仕事をしていると、やはり負荷は大きい。今では食べる時間がかかる為、そして何か不都合があるといけないので、少し早く起きて食事をしている。

最初、昼休みにいつもより少ない食事に40分程かけて食べていた。昼飯を食べるだけで休憩時間が終わってしまうのではないか?と感じられた。

また、後遺症も大きくはないが度々起こる。ずっと便秘の生活だったが、今では薬など飲まなくてもほぼ1日一回以上はお通じがあり、多い時には5-10回、通常の排便(あまりない)から軟便、下痢と織り交ぜながら、寝起きや食べてる時にも便意があり、トイレが近くにないと少し不安を感じる事もある。体内に食べたものがとどまる時間があまりなく、栄養が摂取できているのかわからないのも不安材料だ。

ひどい低血糖や腸閉塞などはそこまで経験していないが何年経とうが後遺症はずっと続くので安心はできないし、体は老化していく一方、常に不具合が起きる前提なので気持ちの落ち込みもある。

2ヶ月経って

腹腔鏡手術のかさぶたがやっと取れた。ものすごく硬くて風呂でふやかしたりできるのかと思っていたが、全く手に負えず、2センチ程の細長いかさぶただが、剥がれかかったところをハサミで切るなどして小さく小さくしていた。そのうち取れるだろうと諦めていたら、ある日の朝半分ほど剥がれかかっていて、痛かったが思い切って取ってしまった。へそを基準にホームベースのような手術跡が何となくわかるが、たったこれだけの跡が残るだけで雨の日なども痛くならず、本当によかった。

その他の数値的なところで言うと、身長170cmここはもちろん変化なし、体重は今年の頭80kg少し超えてたと思う、昨日現在68.5kgそりゃ痩せたねって言われるかなと思う。人によって「ここが痩せたね」と言う場所が各々違うのが面白かった。
仕事復帰後また痩せたよね?と言われるが退院後1キロ程の変化しかないので筋力が戻ってきて引き締まったのかな?と個人的には感じている。腹囲は入院前96cm退院後93cmほぼ変わってないのに体重だけ落ちてどーなってんの?と思った。先日自分で測ったら86cmこの変化はいい事であるのを祈る。そのうち健康診断があるのでそこでしっかりとした数値を見たいと思う。

他の変化

会社に復帰する時は、最初は「無理しないでいいからね」と言ってくれていたが、2週間目には「残業大丈夫?」になり3週間目には「大丈夫?」とも聞かれなくなった。過剰に心配されるほうがお互い負荷になると思うのでこれくらいがいいなと過ごしていた。そんな時、先週一度朝食が合わなかったようで、後遺症になった、朝は元気だったのが朝食直後から下痢になり、いつもならすぐ治るのが治らず、会社に着く頃に気持ち悪くなってきて、脱水からかわからないが、だるくなってきた。朝上司に「体調が良くない」とだけ伝え、「少し横になってようか?」と提案してくれたので半日横になって昼で帰ったのだが、コロナも相まって「体調悪かったら、こない方がいいよ」と言われた。

ここでいろんなことを考えた。コロナが社内で増えている、その事もあったのだろうし、体のことを思って配慮してくれた言葉なのかもしれないが、後遺症は体調不良なのだろうか?下痢は一度で終わる時もあれば終わらない時もある。治るだろうで仕事に行かなければ週の半分は休まなければならない感じになりそうだ、それでは仕事が続けられない。文句を言いたいのでははないが、この事でメンタルがかなり落ち込んだ。お互いの伝えようとする努力と理解しようとする気持ちがないと何度もこんな状態は訪れるのだろう。今回の朝食も以前は問題なかったが今回はダメだった、もう仕事前には2度と口にはしない。

逃走、闘争本能

がん宣告を受けてから、何がどうなるのか分からなくなった。このまま会えないまま終わってしまう人もいるだろうと思い、変化の記録と思い出作りなどとしてnoteを始めた。色んな人が様々なメディで同じように病気のことを公開している。そんな中で目についた言葉。逃走闘争本能。

動物の恐怖への反応で、差し迫った危機的状況において、戦うか逃げるか身動きを止める(擬死、凍結挙動)方法で生き延びてきたため備わったと考えられている。通常は発揮できない怪力を発揮できる反面、緊急時に使用しない内臓への血流が絞られたり判断力が低下するため、長期的にストレスを受けると体や精神に悪影響が出る。

がん宣告をされた時、苛立つ人、落ち込む人、何もないように見える人、この三つになることが多いようだ。俺は三つ目の何もないように見える人だったが、時間が経って怖くなったり、悲しくなったり、色んな感情を経験した。鬱を経験した事でへたってしまったバッテリーのように最大回復値が、昔の6割ほどしかないのだろう、少しのことで落ち込むし回復も遅い、転ばぬ先の杖としてメンタルクリニックで診察してもらおうかと電話をしたが初診は2ヶ月後以降じゃないと取れないらしく、その時点で予約の気持ちが折れてしまった。どうにかなってしまう前には、何かしらの手段や他の病院など、対処できるようにしたい。手術が終わりがんサバイバーへと移り変わった(はず)が、フェーズが変わっただけで危険(danger)から危険性(risk)に変化しただけ。今後も再発や見逃し転移などたくさんの不都合と一緒に歩いていく。

でも、なんとか生きてる。

最後は誰にも必ずくるが、まだ諦めだけにはなっていない。来月の3ヶ月経過時には、また違った状態になってるだろう、雨が降らないと虹はかからない、綺麗な景色は今から見られるのかもしれない。
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