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文系と理系って両極じゃないじゃない #41

私は人からも理系だと言われるし、自分でもそう思います。

・ロジカルに考えるのが得意
・物事を分析するのが好き
・数学が好き

でも、、、

・文字を書くのが好き
・政治、経済、歴史が大好き
・ヒトとヒトが繋がる仕組み作りが楽しい

部分もあるのです。

これって前者がいわゆる理系で後者が文系だと定義されるのでしょう。
だから「お前は理系だ」と極端に分類されることに違和感があるのです。

科目分類が悪しき文化

小学校で勉強を習う時、算数・国語・理科・社会と学びます。
これがもう駄目なんだと思います。

私は算数だけは大好きで、その他の暗記科目は大嫌いでした。ひたすら書いて覚えるという作業が苦痛で苦痛で。。。
しかし、大人になってみると、国語、社会も暗記科目なんかじゃないと思います。テストの内容が暗記に特化されていただけです。

歴史が今の世の中を作っていることを痛感し、歴史を学ぶことが楽しくて仕方ないですし、政治経済を学べば生活を豊かにすることができます。

学校の先生には是非、身近な問題に学校の勉強がどう活かされているのか生きた学論を伝えて頂きたいです。すくなくとも私の周りにはそういう先生はいませんでした。
ちなみに、私は子供から身近なことで質問されたとき、一緒に調べたり、簡単な実験などをして学ぶ姿勢を見せるようにしています。

仕事の分業も悪しき文化

会社に入ると今度は分業制です。会計業務、営業マン、開発者。
ビジネスの規模が大きくなると、一人で理解できる範囲ややれることは一部分に限られます。それ自体は仕方がありません。

しかし、一つの事だけやればいいと開き直るのもおかしな話です。
商品を開発する技術も、売り込む話術も、売上を管理することも全て一つの線の上の話であって、全く無関係なことではありません。
お互いの作業内容を知ったうえで、自分の得意な作業をどう活かせるか考えるべきです。頭でわかっていても実際に理解しようと行動する人は意外と多くありません。

自分にかかる経費も知らずに給料を上げろと要求するのも似た話です。

勉強も仕事も目的次第

なぜ勉強をするのか、なぜ偏差値の高い大学に入りたいのか、なぜ大企業に就職したいのか、それが一直線で考えにくい世の中になっているのが、日本の教育やビジネスに繋がっているのだと思います。

「結婚せずに死ぬまでゲームができれば幸せ」
例えば、自分の人生の目的をこう定義したとします。
それなら、仕事でも他の部署の仕事を理解する必要もないですし、クビにならない程度の努力で叶えられるでしょう。

「iPhoneのような革新的な商品で世の中を豊かにしたい」
こう定義した場合、一気に学ぶべき世界が広がります。
自分の会社のビジネスモデルなんて朝飯前と思える状況でやっとスタート地点なくらいです。

夢は一つである必要もないと思いますし、挫折すれば軌道修正すればいいだけです。

ただ、自分の人生のレールは自分でしかひくことができません。
文系だ理系だとか決めつけていると世界が狭くなります

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